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ゆーちゃん

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#読書 #愛読書 #哲学 #ジルドゥルーズ #フェリックスガタリ

明日以降の仕事に役立つ考えがあったなと思い、「哲学とは何か」(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ共著)を読み返していた

「オーストラリアの多雨林に棲む鳥、スキノピーティス・デンティロストリスは、毎朝あらかじめ切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返すことによって、色の薄い裏側を地面と対照させ、こうして言わば[モダンアートにおける]レディ・メイドのような情景をつくり、そして、その真上で、蔓や小枝にとまって、くちばしの下に生えている羽根毛の黄色い付け根をむきだしにしながら、或る複雑な歌を、すなわちスキノピーティス自身音色と、スキノピーティスがその間、断続的に模倣する他の鳥の音色によって合成された歌を歌うーこの鳥は完璧に芸術家である。一個の芸術作品全体の下描きをなすものは、肉のただ中における共感覚ではなく、テリトリーのなかの諸感覚のブロック、すなわち色、姿勢、そして音である。この音響ブロックはリトルネロであるが、さらに、姿勢リトルネロと色彩リトルネロも存在する。姿勢と色はつねにリトルネロに入り込んでいるということだ。かがむ、そして頭をあげる、輪になって踊る、色の線を引く。リトルネロの全体が感覚存在なのである。」
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ゆーちゃん

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#読書 #ジルドゥルーズ #フェリックスガタリ #ミルプラトー

今日は思考を先鋭化させていたいので、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ共著の「千のプラトー」を移動のお供にチョイス

以下私が好きな部分を引用

「戦争機械と国家装置を比較するために、ゲーム理論の立場から、将棋(チェス)と碁という具体例を取り上げて、それぞれの駒、駒同士の関係、そして空間のあり方を検討してみよう。将棋は国家のゲームあるいは宮廷のゲームであって、それに打ち興じるのは中国の皇帝である。将棋の駒の総体はコード化されていて、おのおのの駒は、駒の動きや位置、そして駒同士の敵対関係を規定する内的本性つまり内的諸特徴をそなえ、名前と資格を与えられている。したがって、桂馬は桂馬、歩兵は歩兵、飛車は飛車のままである。一つ一つの駒は、いわば相対的権能を付与された言表の主体であって、このような相対的権能のすべては、言表行為の主体、将棋を指す人自身あるいはゲームの内部性形式において組み合わされる。これに対して、碁石は、米粒というか錠剤というか、要するに数的単位にすぎず、無名の機能、集団的ないし三人称的機能しかもたない。『それ』はひたすら進むのであって、一人の男でも女でも、一匹の蚤であっても象であっても差し支えないのである。碁石は主体化されていない機械状アレンジメントの要素であって、内的特性などもたず、状況的な特性しかもたない。それゆえ駒どうしの関係も将棋と碁では非常に異なっている。将棋の駒は、内部性の環境において、自陣の駒同士のあいだに、また敵陣の駒とのあいだに、一対一対応関係を取り結び、構造的に機能する。碁石の方は、外部性の環境だけを、すなわち星雲状、星座状布置とのあいだに外部的な関係だけを構成し、これらの関係にしたがって、縁取る、囲む、破る、などの挿入あるいは配置から生じる機能を果たすのである。」
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