「ヒネニ」と「アーメン」——小さな言葉に宿る、神との深い絆僕は聖書を読むとき、時に、たった一言の言葉の前に立ち止まることがあります。今日、心に引っかかっているのは、二つの小さな言葉。「ヒネニ」と「アーメン」です。この二つは、まるで対になるように、神さまとの関係の中で輝きを放つ言葉だと気づきました。まずは「ヒネニ」から。これはヘブライ語で「הִנֵּנִי」と書き、意味は「ここに私はいます」「お呼びでしょうか」。神さまからの呼びかけに対して、「はい、私はここにいます。あなたのために何ができますか」と、全身全霊で応答する姿勢を表す言葉です。モーセ五書の中では、アブラハムが息子イサクを捧げるようにという、あの難しい招きを受けたとき(創世記22章1節)、彼は「ヒネニ」と答えました。また、神さまが夜、少年サムエルを呼ばれたとき(サムエル記上3章ですが、五書の精神に通じます)、彼も「ヒネニ。あなたのしもべは聞いています」と答えます。この「ヒネニ」には、「私は完全にあなたの前にいます。私の全てを差し出します」という、信頼と委ねりの気持ちが込められているように感じます。僕はこれを読むたび、「私は、目の前の神さまに対して、これほど全存在をかけて『います』と言えているだろうか」と、胸が締め付けられる思いがします。そして、もう一つの言葉が「アーメン」。ヘブライ語では「אָמֵן」。これは「確かに」「そのとおりです」「真実です」という意味の、確認と同意の言葉です。モーセ五書では、特に申命記の27章から28章にかけて、神さまの祝福と呪いの言葉に対して、民が「アーメン」と応答する場面があります(申命記27:15-26)。民は、神の言葉が真実であることを認め、「その言葉が、わたしの上にもその通りありますように」と、自分自身に引き受けて宣言するのです。「ヒネニ」が神への「応答」だとすれば、「アーメン」は神の「言葉への同調」。「あなたがおっしゃることは真実です。私はそれを自分のものとして受け入れます」という、深い信仰の姿勢がここにあります。僕はこの二つの言葉を見つめながら、祈りとは何かを考えさせられます。神さまへの祈りは、一方では「ヒネニ」——「私はここにいます。あなたの御心のために」という、能動的で献身的な姿勢。他方では「アーメン」——「あなたの約束は真実です。その御言葉に全てを委ねます」という、受動的で信頼に満ちた姿勢。この両方が、まるで呼吸のように交互に働くとき、神さまとの生きた関係が育まれていくのではないでしょうか。今日、僕自身に問いかけてみたいと思います。私は、日常の中で、神さまの細やかな呼びかけに「ヒネニ」と答えられているだろうか。また、聖書を通して語られる神さまの真実な約束に、心から「アーメン」と言えているだろうか。小さな言葉の一つひとつに、これほど深い意味と覚悟が込められている——モーセ五書を学ぶたびに、僕はその豊かさに驚かされます。まだまだ知らないことがたくさんあります。これからも、一節一節を大切に読み、その響きを心に留めていきたいと思っています。もし、この「ヒネニ」や「アーメン」のような、聖書の言葉の深みを、もっと身近に感じてみたいと思われた方がいましたら。ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。僕自身の学びの旅が、形になったものを、あなたと分かち合えれば嬉しいです。#ヒネニとアーメン#モーセ五書マンガ#聖書の小さな言葉