時代が溶けてどんどん歴史になってゆく。物心ついた頃から近所の映画館へ通い詰めていた婆ちゃんが有名な俳優の訃報を知る度に「寂しいねぇ、あんたこの俳優知らない?」と尋ねてきたが、小学生の僕には知る由もなく「へぇー」と相槌を打つのみで気にも止めていなかった。沢山の映画を観ることで後に知ることになるのだが、その俳優のことを語ろうにも既に婆ちゃんはいない。婆ちゃんが訃報に触れ抱えた寂しさってものがなんだったのか、ここ最近ようやく分かった気がする。俳優の死、そのものだけでなく、俳優が輝いていた時代の死、それを新しい世代が気にもとめない悔しさ、消えてゆくだけなのかという儚さ、詫びしさ、そんなものが渦巻いていたのだろう。この監督を初めて知ったきっかけは麻雀雑誌であったし、赤軍連合について調べていた折にも、映画雑誌からも何度かみかけ、なんだかエラぶってる食えねえオヤジだなあとしか正直印象がなく、その匂いたつ男臭さからこの監督の映画を観ることすら嫌厭していた。臭いから食べないってな納豆みたいに。本物の納豆は何度も食べてるうちに大好きになった。この監督の映画も観るべきだったのかも知れない。訃報を知って切なくなった理由は好きな監督が死んだからではなく、嫌悪感が元でも名前を知っている監督が亡くなったからだ。Xには惜しむ声が溢れ、その頃の、その当時の記憶が散見している。僕自身も嫌悪感を抱いたあの日が思い起こされ、なんだか切なくなった。死んだのはその人だけではない。ともあれ、作品は残る。この監督が音頭をとったディレクターズ・カンパニーの監督達にはお世話になりっぱなしだ。思春期の迷い狂う日々に道筋をくれた映画達が沢山ある。この機会にこの監督の映画も観よう。そして、なんでこんな美味しいものを今まで食べなかったんだと後悔させてくれたなら最高だ。幾ら時代が変わろうとも人間の本質的成長過程は変わらない。良い物語に出会うといつもそう思う。#長谷川和彦#ディレクターズ・カンパニー