わしは『ココロには具体的な材料のようなものがあるのでは?』という疑問に30年取り組み、結果として時間や空間の仕組み、その中にわしらの人生が何故あるのか?という疑問に、言葉で自分なりの“答え”を見出した(と思っている)おじいさんです😁わしらは日々、不可知の『未来』に向かって、自分で考えたり感じたりしたとおりに、判断したり行動したりして生きている、と考えて暮らしているはずです。たぶんコレのことを『自由意志』というんですよね?(哲学のことは不勉強でして😅)ところが、わしが編み出した『#モトの話』では、時間と空間のモデルが根本的に違ってまして、ココロの材料【モト】がもし実在して、わしが考えたとおりの作動機序をするものだとしたら、時間というものは『始まりから終わりまでのすべての出来事が記録された状態で、今の次元よりも上にプカプカ浮いているような構造』をしているはずなんです。要するに、未来というものは“終わる時刻”までの出来事がすでに存在しているはずだ、ということです……例えるなら、レコード盤の溝に、音楽がまるまる刻まれているような状態です。あそこには音楽が一曲、はじめから終わりまで全部『有る』んです。ただし…溝のキズを『音楽』にするためには、針を乗せて“回転させる”……はじめから終わりまで順番に針でなぞっていく必要があります。いくら立派な溝であろうと、そうしないと『音楽』にはなりません。ですよね?つまりこうです。わしらは『自由意志を持った存在として、この世に生まれて生きている』という状態を、未来が完全に決まった状態の中で『体験し続けている』というのが、人生というものを俯瞰的に見たときの姿だろう、というのがわしの推測です。わしらはレコードプレイヤーの針の部分なんです。そしてこの世界は、こういう構造のおかげで・未来は完全な形で『すでに有る』・わしらは未来の分からない状態で、自分の人生を自分の手で『創り上げている』という、全く矛盾した状態を、完璧な形で同時に実現できているんです!……この世界は、ホンマに想像以上に良くできた『構造』を持っているなぁ、とわしも日々実感しています😊#モトの話#セカイのトリセツ