この数日、家に籠ったままひたすらダラダラゴロゴロしてる。ダラダラと寝正月してたら心身的には良いような悪いようなで。普段はあんまり気になんないし、あんまり言えない心の中のウミみたいなのに意識が向いてしまった。自分が普段意識してない内側を言語化してちゃんと認識してたいなと思ってるだけなのでちょっとだけ吐き出しとこう。私は両親が2人とももう他界してるんだけど言うと結構気を使われてしまうから言わないようにしている。けど12月だけはやっぱりめちゃめちゃこの事を口に出すんよね。「帰省は?」って、聞かれてしまうと。私両親居ないんで実家無いんですよねって。確かに悲しいとかは別に無いし、色々あったから【親が居ない=大変】だとは思ってないから、何となく割と明るく言っちゃうんだけど別に周りに気ぃ使われるとかも別に無いんだけどなんていうか、口に出す時に何となく明るく言っちゃうのが時々地味なボディブローになるんだよなぁ。本当にもう、特に悲しいとかは無いし、時々寂しいようななんて言ったらいいかわかんないようなじんわりした孤独を感じるだけなんだけどただ、明るく話したいわけでもなく。でも、明るめに話しちゃう以外の話し方も出来ず。そういう話題を振ってくれる人のせいでもなく。誰も私も悪いわけじゃない事に私は勝手に打ちのめされてたりするわけです。あと10年もすれば親が両方いないことって珍しいことでもなくなるから、そもそも聞かれなくなるんだろうって思えば、まぁ今だけではあるんやけどね。居ないことに慣れたけどだけど居たことを忘れることはないからこういう感情は、親からの置き土産みたいなもんなんだろう。父親に対してあれだけ抱いてた強烈な憎しみも、三回忌の時にどう頑張っても憎めなくなってた。記憶は失くならないのに憎めなくなってたことが衝撃で、憎み続けることが出来るってことがどれだけの相手への関心なのかって思ったもんだけどこういう感情さえ無くなる日も来るのかな。どうあれ、もっとナチュラルに親が居ないことを口に出来るようになりたいな。心が、言葉が、追い付くのはいつになるんだろう。#2025年#寝正月#ゴロゴロ検定とかあったら1級もらえる位レベチなダラダラ新年を迎えてます#写真はまだコロナ禍だった頃に行った有名な踏切#スラムダンク