自分ひとりじゃどうにもならないところにいたのにそんな状況すら認識できないくらいコントロール不能な自分しか生み出してなかったのに「たすけて」その一言がかつて言えなかったことを静かに想い出していた。あの頃「助けてほしい」の言葉は恐れているあらゆることが出現してしまう魔法の言葉だとわたしは信じ込んでいた。拒絶されることや関係性の終わりがくること役に立たない存在とみなされること必要とされなくなることさらに足を引っ張ること今だからわかること。本当の自律は目の前のことを要領よくできることでも何もかもをこなせることでもなくて(まぁ、できるにこしたことはないのだけど。)自分は何ができなくて何ができるのかを知っていること自分が何を望んでいるのかを知っていること自分は何がわからないのかをわかっていることあるいはわからないことがなにかしらあるということを自覚していること生きてくうえでひとりでできることなんて本当にたかがしれているのにできない自分やわからない自分をどうしていいかもわからずに何かにひたすら怯えていた今だからわかること。そんな自分をさらに責め続ける自分をわたしを大切に想う存在ほど近くにいて歯痒かっただろうしやるせないことはなかっただろう応援している存在ほど身近な存在ほどわたしがわからーん!助けてー!とかできないぞーって素直に吐き出せば思っている以上に動かせるのにと気を揉んでいただろうそんなことを友人の素直さからやすやすと進んでいくその姿に流れるそれを感じるほどに静かに静かに気づかさせてもらった。そして自分の本当の望みがわからないこととなにかしらの恐れが結びついたときひとはどんなに信頼のおける存在がそばにいたとしても自暴自棄に入っていってしまうさらに言うならば…それでもやがては浮上する。また、ひとつ過去の絡まってしまったものがほどけた日だ。深い深い感謝も溢れるのです。ありがと#10年前のひとりごと#Facebookの過去の思い出から#さらに10年経って#やすやすと泳いでるわたし#過去の全てにありがとう