「社畜」─────それは時を遡ること戦国「促禔寺 喜啄(そくていじ きたく)」を開祖とする剣客集団が使ったとされる古流剣術「無剣牢導(むげんろうどう)流」徒手空拳を主とし敵を圧倒し単独で多数を殲滅掌握するために己を極限まで高めた格闘術であり剣術と伝えられる極めし者はその身体、刀より鋭く鉄より硬く無数の剣林弾雨を弾き山すらも断ち斬れたという残酷にして過酷、困難極め無理難題を超える苛烈な修行により会得者は極端に少なく最盛期でも7名前後であったとされその剣客集団の鉄と血の掟である一つ、社寺、出自、自己の一切の縁を捨てよ一つ、畜生が如く眼前穿ち斬り捨てよ聡明な読者諸兄ならばもうお気付きであろうが社畜とはこの掟に倣い己を律し家名を捨て世の為に力を振うという理念の下に戦う武人、侍の総称なのであるその掟の頭文字をとったものが社畜なのだしかし戦国乱世に猛威を振るったこの流派も時勢には勝てず戦乱収まり江戸に入り国が平穏となるにつれ最強無敵とされた当集団、無剣牢導流は自然と離散、廃れていきその強すぎるが故の剣術は口伝でのみ継承されていたため現存する書物は無くまた悪用を恐れた末代とされる者により一部を除き一切を闇に葬られたと言われるそして時は幕末、再び日の本に暗雲立ち込めた時突如現れた無剣牢導流を名乗る若者「山形 寂助(ざんぎょう さびすけ)」彼の者は常在戦場を信念とし日に12時間戦い8時間を鍛錬に費やし翌る日も翌る日も戦い鍛え続け維新志士らを勝利に導いた後に明治政府は彼の功績を讃え官憲握る薩摩藩を抑えこみ軍部を担っていた長州藩に迎え陸軍官僚の座と莫大な報奨金を与え更なる軍拡、強権を画策したが「業は残せぬ」と一言つぶやき何事の一切を受け取らずどこへともなく姿を消した以降、彼が歴史の表舞台に登場することはなく後年、病に倒れ死亡確認とされている現代日本において彼の一連の生き様や逸話がサービス残業の語源となるのは言うまでもないが現代日本においては誤用誤認されがちなのを留意されたい元来は「守るべきものの為に命を賭す」というのがサービス残業の真の意味である#民明書房#歴史はいつも赤黒いものだよ#万国の労働者達よ立ち上がれ#デエエエェェェン#くまにき先生のたのしい嘘松歴史