#今日の一文字 #vol489病院は病気になるための場所じゃないA hospital is no place to be sick.Samuel Goldwyn、投稿者訳第二次大戦前後に多くの作品を手がけたポーランド出身の米国の映画プロデューサーの言葉「生きては帰れない〇〇病院」 一週間前の投稿、#vol482 で、故障したバイクを心当たりのある病院の駐車場に駐めたことを書いた 実は、亡母が生前、この病院について「生きては帰れない」と冗談めかして話していた、長い縁がある病院だ 最初の記憶は幼稚園生の頃に遡る 当時、中部地方に住んでいた私を母親が幼稚園まで迎えに来て、そのまま新幹線を乗り継ぎ、関東の、母の実家近くのこの病院へと向かった 危篤状態にあった母方の祖父の病室で、泣きながら祖父に声をかける母の姿は今でも覚えている その日のことか、それとも後日だったかは記憶が曖昧だが、母の実家に預けられている間に祖父は息を引き取った 6,7年後、小6の夏休みに父の仕事の都合で、母の実家近くに引っ越した転校後、わずか1、2か月で、同じ病院に1か月近く入院する羽目になった 母の親族は同じ地元に多く住んでおり、年月が経つにつれ、祖父以降も、叔父、叔母、さらには母の従妹たちも次々とこの病院で亡くなっている 位置的に「近所の町医者」がたまたまこの救急指定の大病院であるため、親族全員がここを利用し、結果、腕や質の問題ではなく、「生きては帰れない病院」になった 母の軽口は、家族内のブラックユーモアとして受け止められていたが、結婚前の元妻の父親が末期がんであり、偶然この病院に転院し、最後の時を迎えた際にも、母が同じ軽口を言ったのには呆れたものだ その母も晩年には入退院を繰り返すようになり、馴染みのあるこの病院での入院を望むようになった 5年ほど前、夜中にこの病院から電話があり、急いでバイクを走らせたが、すでに息を引き取った後だった 地元で多くの親族が亡くなった同じ病院で、母は最後の時を迎え、きっと満足したことだろう そして私も最近は年次の健診を任意の検査機関で受けるようになり、「生きては帰れない〇〇病院」の常連になっている#SamuelGoldwyn