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きずあり

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#今日の一文字 #vol482

幸運とは準備が機会に出会う時であり、不運とは準備不足が現実に出会う時である

Good luck is when opportunity meets preparation, while bad luck is when lack of preparation meets reality.

Eliyahu Goldratt、投稿者訳


イスラエルの物理学者で日本でも出版されたビジネス小説の著者でもある人物の言葉


トホホな日とは、昨日の事を言う


朝、布団から出るのが辛くて少し遅れた

何日も買い忘れてる、歯磨き粉のチューブの口近くの広い部分を気合いで絞ったら、ブリっと二回分くらいでて、最後の一絞りだと予感した

前の晩に書いた投稿内容にケチャ文字の写真と他の画像を載せて慌てて投稿して家を出た

最近、週二回しか使わないため日極めで払う駐輪場で、財布を忘れたことに気付いてUターン

さっきまで数キロ走ってきたバイクがアクセル開くと失火し、エンジンが止まる

駅付近ではバイクの放置は厳しく、15分ほど押して心当たりの病院のバイク置き場にとりあえず駐輪して歩いて駅に向かった

やっと列車に乗ったら、さっきの投稿の画像が誤ってて、慌てて対応した

バイクの件で会社につくのが5分程遅れた

仕事の合間に馴染みのバイク屋電話しようとしたらこの日から二日間定休とわかった

打ち合わせが続き、遅い昼食に行ったインドカレー屋で中辛頼んだのに辛くなかった

どうしても終わらせたい仕事が飛び込み仕事のせいで終わらなかった

頭も疲れて仕方なく退社して、病院まで歩いてバイクのエンジン掛けたら意外と走った

そう思ったら300メートル程でやはり止まった

騙し騙し走らせて、自宅より近い実家にバイクをおいて、その先を歩くことにした

うちに帰って夕飯にしようとしたが、カップ焼きそばしか無かった

それでもとりあえず人心地ついて、タバコの箱を開けたら残り2本だった

ローソンにタバコ買いに行きながら、ついでに好物のドーナツ買おうとしたら売り切れだった

帰宅後、タバコを吸ってたら、今朝は歯磨き粉が切れて始まったことを思い出した

ローソンに行った時に思い出さなかったことを悔やんだ

#EliyahuGoldratt
#トホホの大河ドラマ
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#今日の一文字 #vol494

歳をとるから遊ぶのをやめるのではない
遊ぶのをやめるから年を取るのだ

We don't stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing.

George Bernard Shaw、投稿者訳


10日以上前に故障して #vol482 で書いたバイクの修理が終わってやっと戻ってきた

ご存知無い方もおられるかと思うが、原付バイクの距離メーターは近年まで4桁が一般的だった

つまり9,999の次は0キロに戻り、メーター1周になる


私のバイクは5年前、走行200キロ程の中古を購入し、現時点で23000キロを超えている


まだまだ新しいと過信して、オイル交換とタイヤを1回替えた以外は何もしてなかったし、1万円くらいはとられるかと思ってた

結果、あちこち悪くて6万円近い出費

払いたくは無いが、払わないと乗れない


まるで自分の古くなった心身のよう

せっかく離婚して新たな生活を始めたし、ちゃんと整備してメーターもう1周くらい走れるといいのだが

#GeorgeBernardShaw
#大金払って普通に走るだけ
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#今日の一文字 #vol489

病院は病気になるための場所じゃない

A hospital is no place to be sick.

Samuel Goldwyn、投稿者訳


第二次大戦前後に多くの作品を手がけたポーランド出身の米国の映画プロデューサーの言葉


「生きては帰れない〇〇病院」


一週間前の投稿、#vol482 で、故障したバイクを心当たりのある病院の駐車場に駐めたことを書いた

実は、亡母が生前、この病院について「生きては帰れない」と冗談めかして話していた、長い縁がある病院だ


最初の記憶は幼稚園生の頃に遡る

当時、中部地方に住んでいた私を母親が幼稚園まで迎えに来て、そのまま新幹線を乗り継ぎ、関東の、母の実家近くのこの病院へと向かった

危篤状態にあった母方の祖父の病室で、泣きながら祖父に声をかける母の姿は今でも覚えている

その日のことか、それとも後日だったかは記憶が曖昧だが、母の実家に預けられている間に祖父は息を引き取った


6,7年後、小6の夏休みに父の仕事の都合で、母の実家近くに引っ越した

転校後、わずか1、2か月で、同じ病院に1か月近く入院する羽目になった


母の親族は同じ地元に多く住んでおり、年月が経つにつれ、祖父以降も、叔父、叔母、さらには母の従妹たちも次々とこの病院で亡くなっている

位置的に「近所の町医者」がたまたまこの救急指定の大病院であるため、親族全員がここを利用し、結果、腕や質の問題ではなく、「生きては帰れない病院」になった


母の軽口は、家族内のブラックユーモアとして受け止められていたが、結婚前の元妻の父親が末期がんであり、偶然この病院に転院し、最後の時を迎えた際にも、母が同じ軽口を言ったのには呆れたものだ


その母も晩年には入退院を繰り返すようになり、馴染みのあるこの病院での入院を望むようになった

5年ほど前、夜中にこの病院から電話があり、急いでバイクを走らせたが、すでに息を引き取った後だった

地元で多くの親族が亡くなった同じ病院で、母は最後の時を迎え、きっと満足したことだろう

そして私も最近は年次の健診を任意の検査機関で受けるようになり、「生きては帰れない〇〇病院」の常連になっている

#SamuelGoldwyn
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