#GRAVITY日記 #おはようございます 本質と事実の距離感(倫理観)を想ふ。人は常に新しい事実を求めている。それは究極の「優しさ」をねじ曲がった理由付けさせてものの本質を考えさせる機会を奪いかねない。そんな危険な事が時の流れと共に加速しているおおかたの人の「優しさ」。ここで言う「優しさ」は人の「倫理観」を反比例で退化させているような気がしてならないこと。先ずは技術、医療などの「人への優しさ」の一種の進化。確かに表面上は人の生き方に無限の可能性を与えてくれる。でも忘れてはならない事、技術の進化は並行して代表的なものとして軍事兵器の進化などいわゆる人を不幸に貶めかねない事に多用され重きを置かれている、、、。つまり人の幸せを奪う技術の進化と言い換える事ができないだろうか。19世紀の後半から戦争が起こるに連れ最新技術が生まれ続けてきた。第二次世界大戦の不幸の結果が、技術を平和の目的の為というたてまえの理屈が創りあげられ現在に至っている。日本では少なくても前(さき)の戦争から現在まで憎しみ合う集団での血は流れていない。更に日本に主眼に置くと、前の大戦時、零戦の登場による悠久の過信と神格化、そして栄枯盛衰、原爆の凄惨さを身をもって知る。でもここで僕はこの件について語らない。僕がみんなに投げかけたい、のは他にある。今回の想いの本質はここからだから、、、。それは時の進みと共に急速に発展を遂げ続けている技術(医療等全て人に優しさをくれると思われるもの全て)が人の倫理観を欠如させ続けている恐れがあるという事。今迄は世の中の仕組全体で壮大な話になったがもっとも伝えたいのは技術がもたらした人の何気ない日常の事。その代表は人の想いを紡ぐ、SNSの活用やコミニュケーション方法、現実と仮想の区別の判断を鈍らせる娯楽的なもの、、、あげれば無数に出てくる。携帯電話やSNS、情報伝達技術の進化で人は守るべき人の倫理を崩した。(僕にも言える事だが)例えば、人への裏切りとそれを隠し続ける手段。犯罪もそう。誘拐は減ったがそれは捕まるリスクを軽減させる犯罪者の手法の進化。特殊詐欺、闇バイト、脱法行為の抜け道の模索。重ねて僕個人として伝えたいのは、「優しさ」を裏切る技術進化で人の倫理観を破壊させることは絶対にあってはならない。犯罪や裏切りの行為。これは誰から見ても当たり前の「事実」人の心の倫理、、、技術進化と本質の関連性。恋愛を喩えて具体的に言うと、現状から異性を好きになってはならない立場の人が一時でも惹かれあってしまう。本気も遊びも関係ない。守るべき人への裏切り。許されるものでは無い。だが言い訳になってしまうが、人は生きている以上未知の魅力に引き込まれてしまう本質を持っている事実を拭い去る事もまたできないと想う。だがその本質を間違ったベクトルへと進み隠し続ける技術が常に進化を遂げてしまっている。本質の重みが軽くなっていることだ。人の心を傷つけてしまう決して許されない「事実」、、、。この許されない本質であって事実であるものを以前の人は、罪深いものと感じる心が倫理観の殆どを覆っていただろう、、、そしてセルフコントロールが未だし易かった、、、恐らく。本質と罪の事実のバランスが取れていたとも言うべきか、、、。でも今は、、、技術の進化によって倫理観を崩す環境が身近に増え続けている。もはや倫理観が希薄になってしまったと言うこと。罪として構成される本質が、人としてやってはいけないが、人の禁断の恋愛の本質を崩す事実が凌駕する今をどう感じるか。罪として本質を捉える倫理観を人は絶対に失ってはいけない、、、。でもその恋愛を続けてしまう。それは罪を背負って生きて行く覚悟を持つのが人の本質であって、倫理観を崩すという技術の発達によって俄かに生まれてしまった本質を崩壊させてしまう事実を抗って欲しいと僕は願っているんだ、、、。今迄の綴りの本質は恋愛という魔物は時の流れで、倫理観が悪い方に崩れかけている。人は恋愛の境界線を忘れつある。紡ぐ事への技術の進化によって、、、その進化を人が支配するのではなく悪意ある進化が人の心を支配している、、、今はそんな事実が、、、悲しいけれど、僕はそう想えてならない、、、。だから古から受け継ぐ恋愛の本質を今特有の悪しき価値観で染めて、純真な恋愛を失ってはいけないんだ、、、。と僕は最近よく想う、、、。#尾崎豊 #fogetmenot