羅小黒戦記(ロシャオヘイ戦記)邦題羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来このロシャオヘイ戦記2のCMをたまたま見て、氣になって山田玲司さんの週刊ヤングサンデーを見て、前回投稿したようにその動画内で手塚治虫先生の娘さんの手塚るみ子さんがTwitterでAKIRA以来の衝撃とツイートしたらしく、この動画内でこの中国の作者のMTJJさんは出資者も現れたりするが、内容に口出しするようなら断る姿勢で作った作品とのことでインディーズ映画らしくそんな反骨精神のアーティストの作品なら見てみたいと思って検索したらロシャオヘイ戦記1は、Netflixにあったので鑑賞。ジブリ×バトル系ジャンプ漫画×AKIRAです。ただ上っ面をなぞるだけのイクサガミのようなNetflix系ドラマと違って、きちんと宮崎駿監督の遺伝子を継承してる素晴らしいエンターテイメント作品。宮崎駿監督の中の対立構造をきちんと自分の胎(はら)に落とし込んだ上で物語を紡ぐ。上っ面での理解とは、表面的になぞるだけこの間音声部屋に入ってきたクソみたいなエセ哲学者のごとく先人の哲学者の言葉を使えば、まるで自分の言葉かのように錯誤するウツケと同じ。そこに自分ならではの解釈が一切無いのは、現代の日本人の学校教育の弊害でしか無い。はじめに答えありきで物事が進むからバカが増える。教わったことをただ考えることもせずに鵜呑みにするからバカが増える。"知った氣になったバカ"だと私は呼んでいる。ちゃんとこの作者なりの解釈なり答えめいたものが作品の根底を支えているから良質なエンターテイメント作品となり得る。自然vs.人間宮崎駿監督がもののけ姫で見せた答えは、はじめは答えを逃げたように思いましたがあれこそ本当の意味での答えに近い。全てはバランスでしか無い。塩梅(あんばい)と言っても良いし、調和と言っても良い。資本主義vs.共産主義コレもバランスでしか無いのにバカはすぐに右翼だ左翼だと争う。地球人口が100人しか居なくて、99人は路上生活で食うに困り薬物に頼ってジャンキーみたいな状況になって、1人の金持ちだけが優雅に暮らしていたらすぐにブーブー文句を言い共産主義の方が良い!!と言い出すはずだと思ってる。それでいて、その金持ちが99人は努力が足りないんだよお前達は、自業自得だよ。自己責任だよ。と言ったらどうなるのでしょう?だから自己責任も自責vs.他責もバランスでしか無い。投稿で見かけましたが、今の親は子供が非常識なことをしていても見てみぬフリとありましたが、私は常識と言う言葉すらバカが使うパワーワードと思ってるので、そもそもみんなに共通する常識なんか自意識過剰なエゴイストの思い込み幻想でしか無いと理解してるので、常識や非常識を安易に使って他人をdisってる人間は、私は自意識過剰なエゴイストのバカなんですって自己PRしてるように見えるのですが、その子供を注意できない親を育ててしまったのも社会的風潮の"虐待""体罰"のような過剰な社会的外圧でしか無い。だからパワハラもセクハラも虐待も体罰も過剰な拡大解釈によって歪んだ社会になっていくと昔から懸念してましたが、現在そのようになってる。そう言い張りさえすれば、ことの詳細を省いて自分は被害者ポジションに永久に座れると言うろくでもない言葉だ。パワハラ受けました〜セクハラ受けました〜それがパワハラか?セクハラか?どうかはこちら側が判断するから詳細を語れと言う氣持ちになる絶対自分は悪くないポジションからの詳細語れねーんだろ?本当は自分も責められちゃうから?ってゴミみたいな奴らが安易に使い過ぎワードになってる。そう言う意味では、このロシャオヘイ戦記は冒頭から温かい。作家性を感じながら観れる。後半のvs.の対立の図式も日本の学生運動の時を彷彿とさせる。資本主義に対抗するように共産主義が芽生え打倒するためにドンドン自らも手を汚していくような"悪"だと認識した存在と戦うためにドンドンと悪に染まっていくような感覚。バトルはスピード速すぎて若干何がどうなってどう展開してるのかわかりにくい部分はあるものの根底に流れる作家性は感じることができる作品。宮崎駿監督のismがきちんと海外に継承されてるのを観ることができる1作!クダラナイ金儲け主体のジャパニメーションに飽き飽きな方は是非、一度鑑賞してみては?と思います。後半にナタと言うキャラクターが出てきてるので、【ナタ 魔童降臨】と同じキャラクターなんでしょうが、ナタと言うキャラクターは、中国では西遊記の孫悟空ぐらいメジャーで人氣のあるキャラクターなんだろうなと思いました。オススメです!#ロシャオヘイ戦記 #羅小黒戦記 #MTJJ #宮崎駿#山田玲司