父は鉄工業の会社を30歳くらいで独立してから1人でやっていました。私と姉にスキー競技をさせてくれ、2人とも大学まで行かせてくれました。私達が独立し、夫婦で海外旅行にも行ったりして、老後の生活を満喫していた矢先に突如息苦しい感覚に襲われて病院へ行きました。検査してわかった病名は間質性肺炎でした。しかし、その診断にもすぐにはわからず、少し時間がかかりました。数週間の入院の末、呼吸は楽になり、間質性肺炎の治療が始まりました。父は、間質性肺炎が治るものと勝手に思い込み、もっぱらのアスリート思考であるため、トレーニングをすることで回復すると思っていました。退院してからは自転車に乗り、毎日何キロもの距離をサイクリングしたりして、体力をつけたりしていたのです。思えばこれはあまり良くないことだったのかもしれません。#間質性肺炎#運動療法#80代の挑戦#80代スキーヤー#復活