共感で繋がるSNS
GRAVITY(グラビティ) SNS

投稿

ドライアイの人

ドライアイの人

進撃の巨人を今更ながら見終えたのだが、これは人の愛し方の物語だったといえる。
愛には、服従、自己犠牲、支配、いろんな面があるが、ひとつの考察として以下のように考えてみた。

物語最後で、始祖ユミルはたびたびミカサの頭の中を覗いてたみたいだが、始祖ユミルがミカサの選択に興味を抱いたのは、自身がフリッツ王を愛したように、ミカサがエレンを愛することが似ていると感じたからだと思う。始祖ユミルがフリッツ王に従ったように、ミカサはエレンに従っていた。愛の内容は違っていても、その形式は同じだった。
そのミカサが、最後にエレンを殺すことで、その愛が執着ではなく解放として捉え直れたことに、始祖ユミルは自らの救済を見出した可能性がある。だから、巨人の力の消滅は、始祖ユミルが愛するフリッツ王に従うことが、それを手放すことに変化したことで、フリッツ王の遺言である巨人の力の継承、その力自体を消滅させることへ繋がったのだろう。始祖ユミルのフリッツ王への愛が形を変えたことで、地ならしによる救済とは別の救済を迎えることができたのだろう。ストーカー殺人などが、歪んだ愛の形だとしたら、ミカサのエレンの殺害は真っ直ぐな愛の形だったといえるかもしれない。
GRAVITY
GRAVITY
関連する投稿をみつける
話題の投稿をみつける
関連検索ワード

進撃の巨人を今更ながら見終えたのだが、これは人の愛し方の物語だったといえる。