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あなるの王子様

あなるの王子様

結局誰にせよ、何事からも、従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできない。出来事に基づいて接近していないものに対しては、人は聞く耳をもたない。ひとつの極端な場合を考えてみよう。ある書物が、人がたびたび経験することができないばかりか、ほんの稀にも経験できないような出来事ばかりを語っているとするーーつまり、その書物が、一連の新しい出来事を言い表わす最初の言葉であるとする。この場合には、全く何も耳にきこえない。そして何もきこえないところには何も存在しない、という聴覚上の錯覚が起こるのである。

Zuletzt kann Niemand aus den Dingen, die Bücher eingerechnet, mehr heraushören, als er bereits weiss. Wofür man vom Erlebnisse her keinen Zugang hat, dafür hat man kein Ohr. Denken wir uns nun einen äussersten Fall, dass ein Buch von lauter Erlebnissen redet, die gänzlich ausserhalb der Möglichkeit einer häufigen oder auch nur seltneren Erfahrung liegen, – dass es die erste Sprache für eine neue Reihe von Erfahrungen ist. In diesem Falle wird einfach Nichts gehört, mit der akustischen Täuschung, dass wo Nichts gehört wird, auch Nichts da ist – .

(ニーチェ『この人を見よ』1888年)
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結局誰にせよ、何事からも、従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできない。出来事に基づいて接近していないものに対しては、人は聞く耳をもたない。ひとつの極端な場合を考えてみよう。ある書物が、人がたびたび経験することができないばかりか、ほんの稀にも経験できないような出来事ばかりを語っているとするーーつまり、その書物が、一連の新しい出来事を言い表わす最初の言葉であるとする。この場合には、全く何も耳にきこえない。そして何もきこえないところには何も存在しない、という聴覚上の錯覚が起こるのである。