僕の愛を舐めるなよーと思うわけですよ。究極ぼくたちに許されているのは信仰だけで、だから疑うよりは信じてみたい。差し出された手があたたかいことを信じたい。差し出した手のぬくもりが伝播することを祈りたい。人には限界があるから差し出された手を諦められるまえには、せめて、目を見て。
昔書いたライバボ読み返してめっちゃ良いライバボ書くじゃん私って、めちゃくちゃ自己肯定感爆上がりした。マジあかあむ好き過ぎる。神々のあかあむで好きを再確認するのはもちろんだけど、自分ので再確認出来るってめっちゃサスティナブルじゃんね←