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のり蔵
名古屋に住んでいる時に急に思い立って旅に出た…越中・越前・加賀の一之宮巡礼だ。
ご存知だとは思うが、越中は一之宮が六つもあり迷うところだが、全部を巡拝するのも叶わず射水神社とした。加賀はなんといっても白山比咩神社とした。越前は氣比神宮とした。
氣比神宮には翌朝参拝しようと敦賀駅前のホテルに宿を取った。越前敦賀は歴史ある街だがJRA敦賀駅から港方面の繁華街まで歩く元気は無いと思って辺りを見渡すと、チェーン店ではなく、こじんまりとした居酒屋の提灯が紅く灯っていた。
女将が一人で切盛りしていた。
親戚縁者なのか赤ん坊を抱いた夫婦だけが客として座っていた。
「一人だけど、いい?」気遣いなのかエクスキューズなのかその頃のボクは飲み屋にお邪魔する際にはそう尋ねた。他意はない。
初孫なのか?などと邪推してもみるが、特段興味は湧かない。
瓶ビールとおでん(こんにゃく、がんも、大根)で始めた。
…30分くらい経っただろうか?女将は赤ん坊連れと談笑を続けている。この調子で居られたら嫌だなぁと思っていたら初孫とその夫婦はおあいそして帰った。のり蔵の神通力も健在だ。
漸くのり蔵への接客を開始した女将は「ごめんなさいね、長いことお酌もせずに…、敦賀は始めてですか?」と尋ねながら瓶に残る最後のビールをグラスに注いだ。ボクは「はい、そうです。地元の人達がよく飲む酒を熱燗でください」と答えた。「2合で…」と付け加えた。
程なく熱燗がやってきた。銘柄は忘れた…。
徳利とお猪口を置きながら「お客さん、へしこを召し上がったことありますか?」「ありまっせん。へしこってなんですか?」「魚の糠漬けですよ。この辺では昔からよく食べられてお酒に合いますよ」「じゃあ、へしこください」
糠床で微生物分解されたアミノ酸がイノシン酸ソーダに変化した一品は歴史ある街に相応しく日本が唯一成し得た誇るべき知識と技術である。縄文時代はじめと言うから1万数千年前に会得していたということになる。
縄文に乾杯だ。
もう一本つけてもらうか引き揚げるか、それとも繁華街へ繰り出すか…などと思案していると
常連客らしきご老人が入ってきた。これでおあいそは確定。
へしこと熱燗の余韻に浸りながら引き揚げて寝ることにした。
氣比神宮主祭神であらせられる伊奢沙別命(別名:御食津大神)の恵みに感謝して翌朝氣比神宮参拝に臨むことにした。
残念ながらこの店は当時の(東横インのすぐ近く)場所には見当たらない。店名も覚えてないが気取らない地元の人が静かに飲む店だったように記憶している。
了
次回は暴走族藤沢編、お楽しみに♪
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今年は全然進化してなくて泣いた

ギャ

しゃも
さっきご飯食べたとこなのにもうお腹ペコペコすぎる
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