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げんぞう

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正確には居合でも剣術でもなく剣舞ですが、外国人には違いは難しいでしょうね
国内でもそういう流派は増えています。

現在は荒木無人斎流抜刀術と名乗っていますが、詩吟剣舞の荒木無人斎流から派生した冠翔流から別れた尾川流です。

芸能ではなく、古典芸道である吟剣詩舞にも、明治期以降次々と流派が誕生しました。新しい剣舞流派には、吟剣詩舞が芸道として確立される前から剣舞を伝えてきたもの、居合術、剣術の流派から生み出されたもの、神刀流剣武術や水心流の門下生が創設したものなど多種多様で、舞の形や作法などを他流派と異なるものとしていました。

日比野雷風の神刀流剣武術の門下生が創設した流派には、柔術などの武術を融合した神武流、神明無双流、神刀無念凱山流をはじめ多数あり、そうした流派から独立して創設された水府新刀流といった新派も記録などには見受けられます。雷風の門下生や孫弟子達が、それぞれ新たな解釈を得て独立した流派を形成したのです。

居合道から立ち上げられた流派には、19世紀半ば、安政時代に端を発するとされる居合道の荒木無人斎流兵法を取り込み、明治初期に荒木流剣舞術として開眼された金房流があります。始祖である金房冠一郎(別名・讃岐屋喜三郎さぬきやきさぶろう)は、古武道の荒木無人斉流兵法と歌舞伎舞を融合し、新たな剣舞術、金房流を編み出しました。

金房の金房流は、1882年(明治15年)には神社での奉納公演などで披露されるなどして、着々と発展。その後、1885年(明治18年)には、のちの陸軍大将・乃木希典に招かれて演舞を披露し、好評を得ます。

さらに1909年(明治42年)、金房は明治天皇の前で日本初の展覧剣舞を披露、大正時代にも天皇の前で展覧剣舞を披露する栄誉を与えられました。東京で活躍したあと、金房は郷土の長崎に戻り、九州館道場を開設。そこで後進の指導、育成に努めました。

金房流剣舞術においても、門下生が新たな流派を創設しました。冠一郎の門下生であった早淵鯉昇は、幼少時より金房冠一郎に師事。1935年(昭和11年)に、冠一郎に許されて神伝真正早渕流剣詩舞道を創設し、流派は今日まで継承されています。
後に分家の冠翔流も出来、これがさらに別れたのがこのニュースの荒木無人斎流抜刀術です。
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