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Toshizo
「西竹一」という人物が昨日パリオリで、にわかにこの名が話題に上がったでしょう。
日本は馬術総合団体銅メダルを獲得。実に馬術競技でのメダルは1932年のロスオリ以来92年ぶりです。
そうロスオリで馬術障害個人金メダルを取ったのが「西竹一」(以後彼)なのです。
渡辺謙さん主演の映画「硫黄島からの手紙」を通して彼の存在をご存じの方いるかもしれませんね。
当時の馬術はオリで最も花形の競技の一つですから日本に留まらずアメリカでも名前が知れ渡りました。
彼は、華族の出身で当時としては規格外の自由人で数々の武勇伝をアメリカで残してます。例えば禁酒法時代のアメリカで飲酒運転して事故を起こしたり。そして高身長且つイケメンで女性から絶大な人気で遊び人だったとか!
そんな彼が馬術の道に進んだのは「幼い頃に形成された孤独感」だった様です。男爵且つ巨万の富のあった彼ですが、生い立ちは決して順風満帆とは言えない、母親は正妻でない為彼が生まれて間も無く家を追い出されて、その事が孤独感を彼に植え付けた要因の一つだったそうです。その孤独感から馬術にのめり込み才能を開花させた。
生まれた時から神に愛されたごとく恵まれた人は確かにいます。だけど、何かに突出して輝きを見せる人の殆どは、実は何か重荷を背負い想像ができないくらい苦痛を感じ、努力しているんです、きっと。
僕は人が成功するのを羨む事ないよう、この様に自分に言い聞かせています。
「努力は必ずしも成功を導くものでない。だけど成功する者は必ず努力している。見えない所で苦しみもがきながら」
だから、人は努力する、って。
硫黄島の戦いは太平洋戦争の陸上戦で唯一米軍の人的被害が日本軍を上回った戦いです。
彼は硫黄島で壮絶な最後を遂げました。
だけども勝ち目の無い戦いの中で、自分ができる事を全力を尽くして、米軍に互換以上戦った。米軍をリスペクトし、メダリストの誇りを抱きながら。
最後に、
ロスオリの相棒馬のウラヌス、は彼の後を追うかのように硫黄島の戦いの終焉と共に彼の実家で息を引き取ったそうです。
「西竹一と硫黄島の戦い」
彼はどんな想いで硫黄島に赴いたのだろう。
きっとウラヌスとの別れが一番辛かったかも知れない。
だけど彼は戦車隊の隊長として日本を守る事に全力を注いだ。戦争は何も生み出さない事を知りながら。





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Toshizoさん おはようございます😊 今日もよろしくお願いします🤗