投稿

あられ
もちろん否定はあまり勧められることではないけれど、ある程度は必要だと私は考えている
否定したら「多様性!」って。私はあなたが属するカテゴリー(性別とか血液型とか性格とか)を否定したんじゃなくてあなたを否定したのに
否定って言っても私から見てあんまりな事を注意するとかそんな感じだけれども…
「私はあなたがこうしている事はよくないと思う。なぜならこうこうこうだから」と言っても「でも多様性だから受け入れてよ!○○な人を差別するの!?」って
多様性って便利な言葉だよね。多様性という言葉が、最近相手に考えを押し付ける方便として使われているようにしか見えない。言葉が軽く使われていて少し悲しい
それに、それってあなたが「○○な人はこうする!」っていう偏見を持っている証拠を提示しているようにしか見えないし、差別差別って……。生きづらそう
私は「私とあなた」で話しているのに、相手は「自分を含める多人数と相手」で考えているのなら、まあ話は通じないよね
うーん難しい〜
コメント
話題の投稿をみつける

ひしお

むくげ

偉丈夫

しろぱ
横浜駅西口五番街の匂いがする
代官山なのに

たっち
グッグッグリドルとは何ですか?
グッグッグリドルは、主に日本のインターネット文化やSNSで使われる言葉で、特に若者の間で人気があります。以下にその特徴をまとめます。
意味: グッグッグリドルは、特定の謎やクイズを指す言葉で、特にユーモラスな要素が含まれていることが多いです。言葉遊びや視覚的なトリックを使ったものが多く、解く楽しさがあります。
使用例: SNSやメッセージアプリで友達とシェアしたり、フォロワーに挑戦を投げかけたりする際に使われます。例えば、画像や短い動画に隠されたメッセージを解読する形式が一般的です。
文化的背景: 日本のネット文化では、こうした謎解きやクイズが盛んで、特に若者の間でコミュニケーションの一環として楽しまれています。グッグッグリドルは、友達との交流を深める手段としても機能しています。
このように、グッグッグリドルは単なるクイズ以上のもので、楽しさやコミュニケーションのツールとしての役割を果たしています。興味があれば、ぜひ友達と一緒に挑戦してみてください!

ロー
グッグッグリドルの意味は?
グッグッグリドルは、主に日本のインターネット文化やSNSで使われる言葉で、特に若者の間で人気があります。この言葉は、特定の意味を持つわけではなく、主に遊び心やユーモアを表現するために使われます。
起源: 「グッグッグリドル」は、音の響きやリズムが面白いことから、特に若者たちが楽しむ言葉遊びの一環として生まれたと考えられています。
使用例: SNSの投稿やコメントで、何か面白いことを言いたいときや、軽いジョークを交えたいときに使われることが多いです。例えば、友達との会話で「グッグッグリドルなこと言ってみて!」といった感じです。
文化的背景: 日本のネット文化では、言葉遊びやキャッチーなフレーズが好まれる傾向があり、こうした言葉はその一部として位置づけられています。
このように、グッグッグリドルは特定の意味を持たないものの、楽しさや軽快さを表現するための言葉として広まっています。

ねむ@休
見てませんクリエヴァいました?

伊藤さ
記憶はあてにならない悲しい

👊まし

はっぴ
もっとみる 
関連検索ワード

皆に感謝!幸あれ!
最近多様性という言葉が嫌い。多様性という事は本来受け入れる自由も受け入れない自由もあるはずなのに、自分の意見を押し付けたり押し通す為の言葉になってる。 区別と差別の違いがわからない人も多いし。多様性も含めてそれらの言葉を口にする人って感情論で騒いでるだけのおバカさんのイメージ(わたし個人の感想です)
( ¨̮ )かつを
多様性を主張してるのに友人の考えをを受け入れないところで矛盾してますね。 それは多様性ではなくて、聞く耳を持っていないだけかと。。
むぎ
多様性って「自分も相手も認める」だから、突き詰めると他人との境界線を明確にした上でお互い干渉しすぎない、ってことなんじゃないかと思ってます。 めちゃくちゃわかります。
耀斗
あなたもよくないと思うって押し付けてるんだから多様性の使い方としては正しいのでは?単に何も否定されたくないんでしょうから。 その人があなたに考えを押し付けてる訳ではないでしょう? 間違ってるパターンは、多様性をキーワードに他者にマイノリティを押しつける事では(マジョリティの否定) お互いに不干渉がベストですよ。
るーぺ
大衆の反逆って本で似たような事を書かれていました。 その本では、凡庸な人間が、己が凡庸な人間なのを知りながら、当たり前に凡庸であることの権利を主張し、それをあらゆる場所で押し通そうとするのは良くない、凡庸で有ることは良いが、それを逆手にとるのは傲慢で有る、ということが書かれていたのですが、今の多様性ブームはそれと近しいものを感じますね。 多様性が有るのは良いのですが、その多様性を逆手にとり、自身が他と違うことの権利をあらゆる局面で押し通そうとし、押し通せなければ、多様性を認めないのか!と権利を振りかざして他者を攻撃するのは、多様性という言葉に頼り切った、ある種の傲慢さを覚えてしまいますね。