投稿

鷹みっちゃん❁¨̮
元々施設の方から連絡を頂いていて、2月の中旬頃にも一度容態が急変していた
今夜が峠かもしれません、と…その時は言われた
だけど、奇跡的に回復して一週間ほどで無事退院することができた。家族で相談し、県外でやや距離はあるが会えるうちに会いに行こう。お話しに行こうと、2月の最終日に祖母のいる施設に向かうことになった。
久しぶりに会った祖母は、髪の毛が以前より白くなっており、表情も少し変わっていた。とてもほんわかしたおばあちゃんだった。
認知が以前から入っており、短期記憶はほぼもたない状態だったが、母が「私よ、娘の○○よ。」と言うと「ああ……○○ちゃん?まあ…こんな綺麗になって…ばぁばびっくりしたよ」と泣きながらも笑ってくれた。「ほら、こっちは孫のみっちゃんよ」と母が言うと「あら……みっちゃん?本当?とっても綺麗になったねえ…」と言ってくれた。父のことまで「こんなカッコイイお兄さんまで一緒なの?」と屈託のない顔で言ってくれたのだ。あまりに何度も褒めてくれるので頑張ってお化粧して、おしゃれしてよかったと心から思った。
手を握ったり、頬を触らせてもらったり、ズレていたマスクを直してあげたり、できる限りのスキンシップをさせてもらった。わたし以外の家族はと言うと母はものすごく号泣し、祖母もつられて大号泣、といったところだ。そんな様子を後ろから父が見守っていた。わたしもうるっと来たが、職業柄そういった場面は見てきていない訳では無いのでグッと堪えられた。優しく触れた祖母の頬はもちもちしていて柔らかくて思わず「ばぁば、ほっぺたもちもちだね」と笑いが出た程だ。面会は本来15分程度のはずたったが施設側の計らいか、20分程かそれ以上の時間話をすることができた。
別れの時、祖母は泣いており、わたしたちが帰ってしまうのを心から寂しがっていた様子だった。
職員さんも一緒に見送ってくれて「○○さん、大丈夫ですよ。また来てくれますから、ね?」と何度も優しく声をかけてくださっていた。
それから、ひと月半たって、わたしは別件で用があり、父と母のふたりで祖母の施設を訪れていた。2週間前にも再び病院に入院しており、その際には延命についても病院の方から聞かれた。
母は「私にはどうしたらいいのか分からない」と動転してしまい、電話を変わる。
「祖母が苦しくないように」
コメント
話題の投稿をみつける

ろん@半
あまつさえ熟成とかいう錬金術まで編み出してきて、Uber本社側への不満は尽きないんだろうけど、普通に配達員のレベルが低いわよ

さぷも
#fine873

フク
↓
当然シャガたんもくるだろう
↓
ワイルズの舞台は禁足地
↓
ということは
↓
>>>村クエ最終は「団長からの挑戦状」だろう<<<
ぼくはもう覚悟を決めたぜカプコンさん_(:3」∠)_

どれい
スペシャル相変わらず使わないし、壁塗らないし、一生外回りに無駄にやってるから金イクラ納品遅いし。
頭使えない人ばっかで全然環境悪くて草

合格𝗔
誰かも言ったもう辞めにしたらどう?
どんな困難も打ち勝つよ君を想えば怖くない
おはようございます。
#起きたら802
#ひめくり #梅花石 #困難に打ち勝つ
#We_are_calling_you


折詰

アイア
日々、色んな動物園のエケチェンを追うのに忙しいわ、あたし…
推しエケチェン達、健やかに育つんだよ…
タオちゃん、アルン、ムーデン、ポピー、デコポン、あと名前が分からないけどユキヒョウの子たちとか、アムールヒョウの子とか、みんなね

ふとめ
横浜市の待機児童ゼロは、保留児童と名前を変えてるだけですよ。区内の全ての保育園に空きがない場合のみ待機児童として認められる形になってるので待機児童はゼロです。空きがあるところにはあるんです、送り迎えできる距離じゃないだけで。

マメ
役職とか責任とか嫌いだから避けてたけど基本給とボーナスが急に変わるから負けた。
ずっとクルマで遊びたいし、結婚願望もあるし、そうなってくるとマジで金。
やりたい事あるくせにそのうち昇給頭打ちの平でぬるま湯やってないで奮い立たないとダメだ思った。

まぎし
(本来ナナフシに分岐した先端はない)
もっとみる 
関連検索ワード

鷹みっちゃん❁¨̮ 投稿者
「肋骨の骨折も、痛みがあるでしょうから自然に……」と伝えた。 無理な延命は望まなかった。苦しい思いをしてまで、命を繋いで欲しいとは思わなかった。 父と母が祖母に会いに行った日の夜、また病院から連絡があった。 下顎呼吸が始まっており、おそらくもう長くは無いと思います……と。 母は「お母さん、頑張ってるのね。」と泣いていた。父は泣かない人だが、「苦しくない最期を迎えて欲しい」とこぼしていた。 わたしは介護施設で働いており、いつ人が亡くなってもおかしくない環境に身を置いているため自分は悲しみにくれることはないと思っていた。その時は。 そして、夜が明けて早朝6時半頃 病院から訃報の連絡を受けた
光
今の世の中、コロナで昔みたいに行かないことが多い中でこの様な状況が多々見られてきていてかなり感動するようになった。 感謝して生きれるようになった。 感動をありがとう❤