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さ丸🫠♡

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1985年以前
―攻めの経営陣/成長を最優先した時代

1985年以前、日本株式会社は明確に「成長期」にあった。
この時代の経営陣、すなわち自由民主党は、
倒産回避よりも拡大と強化を最優先にしていた。

経営目標は単純だ。
売上を伸ばす。規模を拡大する。競争力を持つ。
国家という会社を、まず「太らせる」ことが最優先だった。

このフェーズでは、国は前に出た。
産業を選び、育て、守る。
重化学工業、自動車、電機、造船。
将来勝てると判断した分野には、資本も人も集中投下した。

いま振り返れば「官製」「非効率」「保護主義」と
批判されがちなやり方だが、
当時の経営判断としては極めて合理的だった。

なぜなら、
この会社には失敗を許す余裕がなかったからだ。

市場に完全に投げれば、
弱い会社は飲み込まれる。
だから国が盾になり、
競争に耐えられるまで中で鍛える。

この時代の自民党は、
CEOであり、事業責任者であり、現場監督だった。

そして何より重要なのは、
人をコストではなく投資対象として扱っていた点だ。

雇用は守られ、
賃金は上がり、
努力は生活向上として回収できた。

社員(国民)は、
「頑張れば会社も自分も良くなる」
という感覚を持てた。

もちろん、副作用はあった。
公害、過密、長時間労働、地方の疲弊。
だがこのフェーズでは、
それらは「成長の副産物」として黙認された。

経営判断の軸は一貫している。

まず稼ぐ。
余裕ができてから整える。

結果、日本株式会社は
短期間で驚異的な業績を叩き出す。

輸出は伸び、
外貨は蓄積され、
技術力は世界水準に達した。

この時代、日本は
勝ち続ける会社だった。

ここで重要なのは、
自民党が「優しかった」から
国民が豊かになったわけではない、という点だ。

成長フェーズでは、
人に投資することが
最も効率の良い経営判断だった。

だから結果として、
国民の生活は上向いた。

1985年以前の自民党は、
理想主義者でも冷酷な管理者でもない。

成長を信じ、
成長に賭ける経営陣だった。

だが、会社が巨大化し、
世界市場で存在感を持ち始めたとき、
この経営モデルは転換点を迎える。
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