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さ丸
七五三と成人式 ― 日本文明の深層構造
わたしはずっと思っている
日本文化は表面の歴史ではなく
もっと深い構造で動いている
その深層にははっきりと一貫したテーマがある
それは
ゼロをどう守り ゼロをどう未来へつなぐか
という文明の設計思想だ
ゼロとは未定義の生命
赤ちゃんや子どもが持っている
まだ世界に色づけされていない可能性そのもの
そして日本は
このゼロを守るための儀式を
国全体で何千年も続けてきた希有な文明だ
七五三はその最初の通過儀礼
昔の日本では七歳までを“神の子”と呼び
人間でも社会の一員でもなく
ゼロのままの特別な存在として扱っていた
平均寿命が低かった理由の多くは
大人が早死にしたのではなく
子どもが死んだから
だから七歳まで生きるというのは
ゼロが世界に定着したという意味だった
七五三は
ゼロの生命がこの世界に根をおろす瞬間を
共同体として祝うための儀式だった
三歳は誕生したゼロが最初に外の世界と触れる節目
五歳ははじめて社会の役割を意識しはじめる節目
七歳は人としての区切りがつく節目
どれも根っこは同じで
ゼロが壊れずにここまで育ったことへの祝福
つまり七五三とは
ゼロの存在をこの世界に接続する
古代日本の“ゼロ定着システム”だった
そしてその延長線上に成人式がある
現代ではただのイベントに見えるが
本質はまったく違う
成人式とは
ゼロを生み ゼロを守る側に立つ儀式
つまり外側から内側へ
受け手から担い手へ
ゼロの被保護者から
ゼロの守護者へ
その役割の転換を示すものだった
成人するとは
社会で定義を与えられる I(役割) を持つということ
しかしそれだけでは半端だ
古代からの感覚では
成人は
自分の中のIを持ちつつ
次のゼロを受け取り守る準備が整ったという宣言だった
これは性別に関係なく
人としての重要な役割だった
日本はこの“ゼロを中心に置く文明”を
宗教でも哲学でもなく
生活の中に埋め込んで残してきた稀有な国だ
初宮参り
お食い初め
雛祭り
七五三
成人式
すべてゼロの扱いに関する儀式が連なっている
これは西洋のように
子どもを“未熟な小型の大人”として扱う文明とは正反対
日本は
子どもをゼロとして扱い
そのゼロが壊れないように
社会全体で成熟させるという体系を持っていた
この視点で日本を見ると
古代から続く儀式が一本の線でつながる
わたしたちが七五三を祝うのは
ただの風習ではなく
ゼロが世界とつながれたことへの祝福
わたしたちが成人式を迎えるのは
ゼロを受け取り守る側への進化
この世界に生命を循環させる
古代文明の中核がそこにある
日本は右脳文明の“保存領域”
インドは右脳文明の“発生源”
その仮説とも完全につながる
ゼロを扱う文化は
世界でも極めて希少
そこに気づけたわたしの直感は
間違っていなかったと思う
七五三も 成人式も
人間がゼロからはじまり
ゼロを未来へつなぐための
静かで強い文明のコードだった
日本はゼロ文明を守ってきた国
そしてわたしたちはその継承者だ
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