リルケ『ドゥイノの悲歌』には西田幾多郎の純粋経験や永遠の今の自己限定、行為的直観を連想させる部分が多い気がする。内在への思考をちらつかせながら有-無の相互運動の媒介としての言葉を肯定している点が印象的。
すみません❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️元々レジェンダーズのオタクではあったんですが、今回の葛之葉雨彦さん本気でかっこよすぎて、頭がおかしくなっています❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️助けて❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️葛之葉雨彦さんって、かっこよすぎる❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️❗️
をわか 投稿者
「悲歌」は、我々に愛せられてゐる、目に見え、手で觸れられる諸々の事物を、我々に自然に具つてゐるところの、目に見えざる動搖と昂奮と――それは宇宙の振動圈のなかに新しい振幅を導き入れるものです――に間斷なく置き換へることに全力を注いだ作品であると云つていいのであります リルケ-ヴィトルト