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ランワイン
例えば「高校中退」というようなことは高校生にしかできない。決断のためにはあまり熟慮している余裕というものがない。即断即決である。
私は高校生活を心から愉しんでいたのであるが、「高校中退は高校生のときにしかできない」ので、とりあえずやめてしまったのである。
しかし、私はそのことをまったく後悔していない。
高校中退で勢いのついた私は、その後も、「やりたいことは即実行」「Tomorrow never comes」をモットーに、あらゆる「やらなかった後悔」の芽をつぶしつつ、今日に至ったのである。
1970年の12月、何のデモだったか忘れたけれど、銀座通りをデモしたことがあった。
もう街はクリスマス気分で、こちらの気分もぱっと盛り上がらず、私は適当なところで隊列を抜けて、デモ隊を規制する機動隊の列のさらに外側をたらたら歩いていた。
すると、機動隊の分隊長みたいな指揮棒をもったおっさんが、立ち止まってトランシーバーでデモ規制の指示を出していたのに、ぶつかった。そのおっさんは20歳の私の前にでかいケツを向けて、傲然と道を塞いでいた。
私にはこの無神経なケツが「国家権力」の象徴のように見えた。
私は「即断即決」で、会心のトゥキックを機動隊隊長のアスホールにめり込ませた。彼はそのまま1メートルほど宙を飛んで、顔から街路樹の根もとに突っ込んだ。
私はあまりの蹴りのあざやかな決まり方にわれながら驚いた。
まわりの機動隊員たちも何が起こったのか、しばらくあっけにとられていた。
私は数十人の機動隊員の囲みの真ん中で隊長のケツを蹴り飛ばしたのである。
隊長が起きあがって「そいつを逮捕しろ!」とどなって、私も隊員たちも我に返った。
私はそのあと生涯最高のスピードで銀座通りを駆け抜けた。
いちど、一人の隊員の手が私のコートのフードの部分にかかったが、さいわい、マグレガーのダッフルコートのフードは「取り外し自由」のボタンがついていたために、ボタンをぜんぶ飛ばして、フードだけを彼の手に残して、私は銀座四丁目のかどを有楽町方面に逃走しおおせたのであった。
30年前のいまごろのことである。
あのとき「即断即決でケツを蹴った」ことによって私はこういう人間になった。
「熟慮の上、蹴らなかった」場合、私がどのような人間にその後なったのかはうまく想像できない。
今の私よりたぶん「感じのいい人」になっていたとは思うけど、それは「私」ではない。
内田樹
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