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ぱっくん

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[映] アムリタ

大ネタバレ注意

 この言語化できない衝撃を言語化してしまうと衝撃が薄れてしまうような気がして躊躇われるけれど、それでも書きたい。
 初めに感じたのはノリが00年代頃のラノベに近くて非常に懐かしく、読みやすく、好きであるということ。私の活字の原体験…というか、面白いと思える活字に初めて触れたのが「神様のメモ帳」。そこからラノベを色々読み、美少女から無機質に放たれる斜め上のボケと、それに軽快に突っ込む主人公の文範は思春期の私の心にしっかりと刻み込まれたのである。
 本書は挿絵こそ入っていないものの、文体はライトノベルそのもののように感じる。ラノベにここ数年触れていないので記憶違いの恐れもあるが、それでも前述したとおりノリが過去読んでいたラノベのそれに近いというのは間違いない。私は速やかに魅了され、朝の通勤時間を費やし、飽き足らず仕事中においても読み進める暴挙に出た。

 細かい感想は置いておく。そこにあまり意味はないだろう。ともかく最終章だ。スタッフロール。ここにすべてが詰まっている。『アムリタ』。本当にそんなものが存在するのか?おそらく『アムリタ』がなくてもこの物語は成立する。「『アムリタ』を見たものは定本になるのだ」と思い込ませるだけでいい。実際にそうである必要はなくて、そう思い込ませることさえできれば二見に『アムリタ』を見せたことを示唆するだけで、最原の求めていた「二見さんが命をかけて愛した相手に、実は二見さんが殺されていたと知った時の表情」は見ることができる。しかし恐らく『アムリタ』は存在するのだ。あの絵コンテを作れる最原が、あの『月の海』を作れる最原が、あの受験用映像を作れる最原が『アムリタ』を作れないわけがないと、そう思えるのだから。
 だからきっと二見は死んでいるし、エンドロールの後初夜の記憶は消えているし、最原は再度失踪するのだ。

 だけどこういうオチだってあっていい。例えば二見遭一は死んでいなくて、最後のエンドロールが流れた後も記憶は残っていて、どうでしたか?と事も無げに聞いてくる最原に対して「消えねぇのかよ!」とつっこむ二見がいたって。だって私はどうしようもなく、二見と最原に惹かれているし、この二人にバッドエンドは似合わない。二見は二見として最原に振り回されていてほしいし、最原にはそんな二見を好きでいて欲しいから。
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