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ナサ

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長義手紙3通目まで来る日なので解釈

1通目から、どちらかと言うと修行に出たのは他から進められ送り出されたからであって、自分の実力は既に極とも遜色ないと自負している

その上で、実力を示すのも持てあた精神か、と山姥でも切ってこようか、の発言もあり

2通目ではおそらく山姥退治の話が国広のものであると言うのが主体という現在の歴史観に対して『正しい評価を受けられない』との発言

つまり、本作長義と山姥切国広の現在明かされている歴史とは別の、「山姥切国広の本科なのだから、長義こそ真の山姥切」という人の想いが顕現したのが山姥切長義なのではないか

そして長義が1人思い浮かべた1人とは、誰なのか

私が思い至ったのは3名

本作長義の所有者であり、山姥切国広を打つように命じた張本人、長尾顕長

山姥切国広を打った、刀工・堀川国広

そして今代の審神者、つまりプレイヤー

長尾顕長は下賜された本作長義に惚れ込み、自分だけの刀を欲しくなったのではないか、と言われている作品もある(刀ステ)

プレイヤーは山姥切国広が本丸にいながら(もしかしたら居ないで顕現した本丸もあるのかもしれないけれど)山姥切長義を山姥切長義として迎え入れている。
つまり、山姥切長義を山姥切として評価している。

私が推したいのは、堀川国広説。
これも刀ステで語られたことではあるが、山姥切国広という刀は本作長義が美しいことの証明(意訳)なのだと。

なるほど、現代のような精度の高い工具も解析機器もない時代に、あれ程正確に鋒の形状と樋先の位置を写すとなると、どれほどの苦労を、どれほどの熱意を、山姥切国広一振に込めたのかは推し量るに余りある。

それだけの想いを込められたのは何故か?

当時の堀川国広は既に堀川一門を率いており、弟子を取る程に有名な刀工であったとされる。
そんな刀工が、写しを打つと言うのは珍しいことであったであろう。

では何故、国広は山姥切国広を打ったのか。

長義のような美しい刀を見た時に、国広は何を思ったのか。

そこが答えなのだろうと私は思う。

人は本当に素晴らしいものを見た時、「自分も作りたい」と思うらしい。

堀川国広ほどの刀工にそこまで思わせた刀こそ、本作長義なのだ。

そして、山姥切長義はそんな本作長義が刀剣男士として顕現した姿。

山姥を切っていようがいなかろうが、彼は彼なのだ。
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