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ツバキ
「運転ってみんなで交代しながら行くんだよね?」って聞いたら
「行き帰り全部私運転だよーだって長距離ドライバーだから運転慣れてるでしょ?」だって
福島から?大阪まで?行き帰り?運転?私一人で?はてなだらけ。しかも高速ガソリンレンタル代はきっちり5人で割り勘計算
「流石にそれはおかしくない?行き帰り運転すはふなら高速代とかレンタル代はなしでいいとかみんなで交代しながらならわかるけどさすがにそれはなしじゃない!」っていったら
「長距離ドライバーって運転好きだからなったんじゃないの?給料だって俺らより貰ってるのにケチだな」って言われて
グループから蹴られた
こんな奴らと今まで付き合ってたんか…私
すげぇショック
コメント
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みー

ひとで
こっちは起きても足のだるさ残ってるよ…

まりも

りにに

彩月
#nagisatalk

🦄♥️

まめの

ぐちリ

ひぇー
金地院崇伝の生涯について知りたい
金地院崇伝の生涯
生誕と背景
金地院崇伝(きんちいん たかのぶ)は、1540年に生まれました。彼は、戦国時代の日本において、特に茶道や文化の発展に寄与した僧侶であり、重要な文化人として知られています。
教育と修行
崇伝は、若い頃から仏教の教えを学び、特に禅宗に深く傾倒しました。彼は、京都の名刹である金地院にて修行を重ね、後にその寺院の住職となります。
茶道への貢献
崇伝は、茶道の発展に大きな影響を与えました。彼は、千利休とともに茶の湯の普及に努め、特に「わび茶」の理念を広めました。彼の茶道に対する考え方は、後の茶道のスタイルに多大な影響を与えました。
文化的活動
崇伝は、詩や書道、絵画など多岐にわたる文化活動にも従事しました。彼の作品は、当時の文化人たちに高く評価され、後世においてもその影響が見られます。
晩年と死
金地院崇伝は、1610年に亡くなりました。彼の死後も、彼の教えや文化的な遺産は、茶道や日本文化の中で生き続けています。彼の功績は、今なお多くの人々に尊敬され、茶道の精神を体現する存在として記憶されています。

テサブ
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たぬきち
そんな奴らなんて付き合う価値すらないわ😑 仕事と遊びは違うんやぞ、人をタクシー代わりと思うなんて最低😫
あくあせ
まずは最初に「運転たのんじゃってもいいかな?」のお伺いくらいすべきですね。当然費用免除。でも休みの日に運転させるなんて思いやり無さ過ぎだと思いまーす
まめ@ミニマリスト
運転のプロにタダで運転頼む神経がおかしいっ![怒る]
山本
先のコメントの方と同意 自分から運転するねって言ってるならともかく押し付けでそれはおかしい。
しょーじ
なんというか…。