延喜23年(延長元年)3月 醍醐天皇の皇太子保明親王が病で薨去した。同年4月 故皇太子の男子であり3歳の慶頼王を皇太子に立てたが、2年後の6月に夭逝してしまう。この2人の皇太子は故左大臣藤原時平と血縁が近かったため、菅原道真の怨霊によるものだと世の人は口々に噂したという。