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Bahar
20歳から新卒で3年間働いた小さな広告宣伝会社。
その社長はコピーライターとして当時住んでいた某地方都市の業界ではそこそこ有名で、特にとあるマニア多数の海外製品においては大昔から広告に携わり、著作も何作か出し、日本のドンのひとりのような存在だった。
しかし絵に描いたようなクリエイター系めんどくさいおじさんで、周囲には「ああいう人だから」みたいな扱いを受け、私は「よくやっていけますね」などと言われていた。
私は右も左も分からないまま専門学校卒業後紹介で入社。給料は激安だったので2年目くらいから学生時代のバイトを再開してしのいでいた。
腹の立つこと、理不尽だと感じることもあったけど、私も学生上がりで常識のないめちゃくちゃな新卒だったので、よく雇ってもらえたなと今なら思う。広告業界のイロハや文章の書き方など一から教えてもらえた(社長から直接ではなくそういう環境に置かせてもらえた)ことには感謝しかない。
さて、勤めて3年が経った23歳のころ。バイト2つとの掛け持ちはつれーな、などと思いつつ、謎の貯金ブームが押し寄せて、わずかだが数万円を毎月天引き貯金。通帳を眺めるのが楽しみだったころ、バイト先で知り合った彼にふられる。
今思うと言動・行動ともにふられて当然でもあるのだが、元々本気でないと付き合えないタイプの私は大ショックを受け、初めて食べ物の味が分からなくなった。朝は目が覚めるたびに絶望し、重い身体を引きずるように出勤。そんなある日、頭に「留学」の二文字が降りてきたことをきっかけに、「こんな地方都市にいる意味も、安月給で働くのももうバカバカしいやい。巷に溢れてる、今季逃した30代の自分探しじゃなくて、20代前半のうちに学生気分やり直してやら」と、退職してさっさと留学した。
社長は驚き、給与アップをほのめかし(大した額ではなかっただろうが)、引き留めに入ったが、私の決意は固かった。留学中、メールが一度来ていたが迷惑メールに入っていて発見が遅れたので、返信もしなかった。
帰国後は首都圏で就職。かつての仕事が評価された面が大きいので、やはり前職と社長には感謝せねばならない。それから10年以上、夢中で働いてきた。
昨年、ふと社長を思い出した。著名人なので検索すると出てくるが、どれも10年近く前の情報。つづく
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Bahar 投稿者
私は人が死んだら二酸化炭素と灰になっておしまい、などという考え方は苦手だ。 死後の世界が存在していてほしいと思うし、仏教の教えである転生輪廻も信じたいと思う。そうでなければ、自分の生きている意味が分からずつまらないからだ。 辛いことも、悲しいことも、自分を向上させる経験と考えれば乗り越えられる。死んで終わりならそんな苦しみからも逃れたくなってしまう。 長くなったが、そんな夢を見て、あの自分本意で性格が悪かった社長が、天国に還れているか心配になった。 閻魔様のお裁きでも、平気で自慢げに肩書きを名乗り、自分の過去の栄光や功績を捲し立てる様子が目に浮かぶ。 社長の冥福を今更だが祈る。 終
生タマゴ
文章、お上手です!続きが読みたいです!
生タマゴ
是非是非、続編を!
Bahar 投稿者
本人のSNSアカウントも見つかったが同様で、やがて10年近く前に亡くなっていることが分かった。 私が雇われたとき、社長はたぶんすでに60代。亡くなってもおかしくはないし、何よりあまり尊敬できる部類の人ではなかったので、何の感情も湧かないかと思ったのだが、軽く心を揺さぶられたのが自分でも意外だった。 人生でこれまで出会った中で、特に苦手な人を挙げよと言われたら間違いなく5本の指に入る社長。だからこそ、なのか。10年越しの訃報に軽くショックを受けたのだった。 そして昨晩。社長の夢を見た。 登場人物は社長と、私がこの前まで勤めていた職場の皆さん。 場所はなぜか、懐かしの社長のオフィスつづく。
Bahar 投稿者
社長は相変わらずで、必要もないのに肩書を名乗っていた。そして私のボスの机には資料と思しき社長の著作。そして、「この人誰? ぜんぜん知らない」というコメント。 「私よく知ってます。○○○を日本にもたらした人です(事実と近いがなぜか違うことを言った)」と説明すると、「へぇーそうなんだ」とボスたちは予想以上に驚いた…そんな夢だった。 すぐに目覚めて思った。 あれはもしかして、閻魔庁のお裁きを見せられたんじゃないかと。 イマジナリー社長と対話して、できることはしたつもり。