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犬飼亀戸

犬飼亀戸

家族、恋人、友達で
障害を持っていたらどうする?家族、恋人、友達で 障害を持っていたらどうする?

回答数 384>>

うちの母が後天的障害者でした(身体)。
国の補助を活用して、飛行機は半額、路上駐車無罪、真っ赤なマツダ乗り回し(身障者の運転を想定したオートマの開発はマツダが先駆け)、喫茶店オープンし、ブイブイ言わせてましたね。

現在、私自身は知的をメインに障害のある生徒のサポートをしています。地方だと進学先が遠くて苦労することはありますが、特別支援教育の体制はこの30年で飛躍的に整備され、かつて私が諸外国のあり方を見て日本のあまりの不備に絶望した頃とは大きく違います。

障害のある子どもは生まれた時点で「詰んで」いるわけではありません。適切な支援と教育の積み重ねで、小中9年間で大きく成長します。これは健常者も同じです。中には支援がうまくはまって、中3までに支援から外れる生徒もたくさんいます。

投稿された方ご本人にはあまり響かない内容のように思いますが、ここを見られている他の方が障害を過度に、そして間違った認識のもと恐れることのないよう、あえてこちらに投稿致します。

日本はこの数十年で、それなりに障害のある人々を支援する制度を整えてきたのです。明日、私の母のように、突然交通事故にあい体に麻痺が残っても、現在の日本にはあなたを支援する法律があるのです。
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さじゅん3

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グラビティにお住まいの皆様
今年は私ここにそんなには書き込んでいないのだけど、いっぱいいいねをくれたり、フォローしていただいたりありがとうございました。
その点あまり皆様との交流は少なめだったかな?と反省しております。
個人的には心機一転慣れない土地で一人踏ん張る一年でございました。
来年はいい歳こいても良いSNSは心のビタミンとして活用して、交流して行きたいと思っておりますので、皆様も私からコメントがあったら構ってやってください。

来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を!
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ジュデッカ

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本当は何をしてもいい、何もしなくていいと知ったら自由も希望も感じられなくなるのでは?本当は何をしてもいい、何もしなくていいと知ったら自由も希望も感じられなくなるのでは?

回答数 9>>

希望はどうかわかりませんが、自由というのはその行動に対する責任を伴うと思っています。
そうでないと思う(無責任な行為はありうる)と思っていても、長期的には何かしらが返ってきます。
例えば、地球の環境破壊。自分一人のは大したことはないと思いますからみんなあまり気にもしてないし、ゴミは出てくるのだから出すのも自由と考える(廃棄ルールなどはあるが直接環境破壊とは関係ない概念なので今は無視する)と、何十年か後には人の住めない星や環境になり、後世の人たちは生まれながらにして不幸を背負って生きていきますので、その原因が我々だと知ったら「そんな時代の人間は全員死ねばよかったのだ」などと非難を受けることになります。
こういう構造を考えたときに、「将来どうなることが予想されるから、今の段階でやれわれはこうしないといけない」と明確に何か答えを持ってますか?
といえば、誰も持ってないでしょう。
そして、どうなるか、にすら、具体的な数字を挙げて目を向けている人は少ないはずです。
それは、自分たちが悪であると構成から言われるであろうことを受け入れたくない、しかし、そのために目の前の便利や楽を手放すことが責任あることかどうか想像ができないでいるからです。
まあ、ある意味自由かどうかすら感じてないから、現状では後世のことなんて何一つ考えられない社会になってるのだとは思いますが。
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みゅ×

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ミルトン

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いつかの大晦日、末期癌の母が病院から家に帰って来た。

もう長くないので、最後に家で過ごしてもらいたいという病院側の配慮なのだ。

家族で紅白歌合戦を観たのち、母と僕の二人で二年参りに行った。

近所の神社で、僕は母の癌が治るようにと祈った。治らないだろうけど、と思いながら。

母が何を祈ったか知らない。自分の癌をよそに、僕の幸せを祈ったのかも知れなかった。

母は僕を医者にしたかったが、僕にそんな頭は無かった。二浪してもどこの大学にも受からず、プライドはズタズタになっていた。

医学部でなく文学部を受けると母に言った。落伍者の文学をやりたかったのだ。しかしどこの文学部も受からなかった。

「最後に訊いておきたいことはない?」と母が言った。

「ないよ」と僕は答えた。訊いたら本当に最後になってしまうような気がしたのだ。

母の容態が急変し、病院にもどることになった。

親戚一同が集まり、母を見守った。母は静かに息を引き取った。

泣きながら、僕は何を考えていたか。これで母の圧倒的な支配から逃れられると考えていたのだ。

僕は母を本当に愛していたけれども、母からの過剰な溺愛で窒息しそうになっていた。

これで解放される、と泣きながら思っていたのだ。

あれから長い年月が経ち、僕は母と同じ歳になった。

母よりも歳上になろうとしてるなんて不思議な気持ちだ。





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