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義母撲滅し隊

義母撲滅し隊

義母に飯を食われんように
義母がだいっすきな♡ピーマンが入ったおかずのみを夜ご飯に用意したいと思います☺️

業務スーパーの冷凍刻みピーマンなのでメニュー絞られちゃうんですが、何か良い案はありませんかね?🥹

人参、玉ねぎ、鶏肉でも入れて酢鶏?それともオムライス?☺️

あっ!オムライスにしてサプライズにしようかな!
自分の分の取り分がなくても持っていってくれるもんね!素敵!

でもまだ少し案練りたいな!☺️
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コメント

ホワイトピンク

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ピーマン🫑のメニューですかー オムライスも良いと思いますがナポリタンは如何でしょうか? 小さく切って避けずらくするとか?w

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義母撲滅し隊
義母撲滅し隊
バカなので気づかず飲み込む可能性があるのと、麺を切らしてました[大泣き] 麺を買った際に逆にドデカピーマンで対戦しようと思います! コメントありがとうございました!✨
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ぱるむ

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いっぱいお腹空かせたからいっぱいピザ食べれそう😋
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よく

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年越しそば食べた(?)
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さ丸

さ丸

ギャンブルの「怖さ」と「恐さ」

ギャンブルが怖いと言われるとき、
多くの人は「破産するから」「人生が壊れるから」と答える。

それは確かに正しい。
だがそれは、怖さの話だ。

怖さとは、
身体が危険を察知する反応だ。
失う金、壊れる生活、取り返しのつかなさ。
それらは目に見える損失であり、計算できる恐怖だ。

この「怖さ」に対して、社会は制度を用意した。
禁止、規制、監視、免許制。
危険なものから人を守るための仕組みである。

だが、ギャンブルにはもう一段深い領域がある。

それが 「恐さ」 だ。



■ ギャンブルの恐さとは何か

恐さは、損失の話ではない。
それは、人が自分の内側と出会ってしまう感覚だ。

賭ける瞬間、
人は一瞬だけ「計算」から離れる。

努力と報酬の因果。
正しさと結果の対応関係。
社会が教えてきた安全なルール。

それらがふっと消え、
代わりに現れるのが「運」「流れ」「直感」。

ここで人は気づいてしまう。
――世界は、完全には管理できない、と。

そして同時に、
自分の中にある“賭けたい衝動”にも触れてしまう。

それは破滅願望ではない。
もっと原始的な、
「生きている実感を取り戻したい」という衝動だ。

この瞬間こそが、
ギャンブルの本当の“恐さ”。



■ なぜ社会はそれを恐れるのか

左脳的な社会は、
秩序・予測・再現性によって成り立っている。

労働し、貯め、計画し、管理する。
そこでは「偶然」はノイズでしかない。

しかしギャンブルは、
その秩序を一瞬で無効化する。

努力が報われなくても、
一度の偶然で世界が反転してしまう可能性を見せる。

だから危険なのだ。

それは金銭的に危険なのではなく、
人が“秩序の外側”を知ってしまうことが危険なのだ。

だからこそ、社会はこうする。
ギャンブルを禁止する一方で、
自分たちの管理下にだけ置く。

宝くじ、競馬、カジノ。
すべて「許された偶然」。

偶然は消さない。
ただ、制御する。



■ ギャンブルの本質

ギャンブルは、
人間が「完全には管理できない存在」であることを思い出させる装置だ。

それは破滅の入り口であると同時に、
生の手触りへの入口でもある。

だから人は惹かれ、
同時に恐れる。

怖いのは、破滅するからではない。
恐いのは、
自分が本当は何者なのかを知ってしまうことだ。

理性の奥に、
計算を超えた衝動があると気づくこと。

それは、
「社会の中で生きてきた自分」が
一度、裸にされる瞬間でもある。



■ だから人は、賭ける

生きている実感が欲しいとき。
世界がすべて決まって見えるとき。
自分が歯車に思えてしまったとき。

人は賭けに手を伸ばす。

それは破滅願望ではない。
「まだ生きている」と確かめたいだけだ。

ギャンブルの怖さとは、
人生を壊す力ではなく、
人生の“芯”に触れてしまう力なのだ。
預言者の星預言者の星
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ʓぅ🪄✨.•*¨*

ʓぅ🪄✨.•*¨*

美味しい(*´ч`*)
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⠀木塲💚

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夜に蟹食べれそうにない😇
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