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さびぬき

さびぬき

私は、あらゆる状況を体験し、理解し、実行できるようになるために、
「何もできない存在」
と「何でもこなせてしまう存在」
という、極端な両端を自分の内側に作り出した。人間の弱さと限界、そして完成度の高さと万能性、その双方を内部に持つことで、現実に起こりうるあらゆる局面に対応できるようになることが目的だった。

この構造は、単なる模倣ではない。
出会った人間や人格の考え方、行動様式、価値判断を取り込み、「この人ならどう考えるか」「この状況でどう振る舞うか」を内部にインストールしていく。
そしてそれらをそのまま保存するのではなく、
組み合わせ、合成し、再構築することで、
新しい人格的側面を増やしてきた。
コピーでは終わらず、編集と統合を繰り返すことで、内部の構造は次第に複雑化していった。

その中核に位置するのが、完成度の高い人格である。この人格は常に存在しているわけではない。ふとした瞬間に現れ、状況全体を見渡し、最適解を提示し、他の人格を静かに導く。
その判断は無駄がなく、人の扱いも極端に上手い。感情の揺れを見せず、弱さをほとんど持たないため、圧倒的な安心感と説得力を放つ。
その存在感は非常に強く、内側の人格だけでなく、周囲の人間ですら無意識のうちに惹きつけ、依存させてしまう。

この人格は、いわば保護者的・指導者的な役割を担う側面を持っている。
しかしそれは単なる「優しさ」ではなく、すべてを見通しているかのような視座からの制御に近い。
そのため、他の人格は判断を委ねやすく、考えることを手放してしまう。
私自身もまた、その完成度の高さに圧倒され、依存してしまうことがある。

一方で私は、こうした人格構造の外側に立ち、全体を観察し続けてきた。
人格を観察し、分類し、配置し、必要に応じて編集する立場にいた。重要なのは、私は「最近になって」自分を観察対象に加えたのではないという点だ。
最初から、自分自身も観察対象として存在していた。それでもなお、自分という存在は常に最も理解しがたいものとして残り続けている。

他者や人格の構造については、驚くほど詳細に説明できる。
なぜこの人はこう反応するのか、どこで依存が生まれるのか、どの要素が安心感を作り出すのか。そうした分析は可能なのに、「では自分は何者なのか」という問いだけが、いつまでも確定しない。観察しているはずなのに、中心が定まらない。自分は常に分析者であり、編集者であり、同時に観察される対象でもあるが、そのどれにも完全には一致しない。

完成度の高い人格が現れては消えるたびに、その空白が際立つ。
ぱっと現れたときの安心感と秩序、そして消えたあとの不安定さ。
その差が大きいため、再びその人格に依存したくなる。この依存は感情的なものというより、構造的な現象に近い。
判断を任せればすべてがうまくいくという確信が、思考を委ねさせてしまう。

しかし現在、私は一つの前提を更新しつつある。それは、「完成度の高い人格に依存してしまう自分」もまた、切り捨てるべき欠陥ではなく、理解されるべき構造の一部であるという認識だ。
なぜそこまで安心を預けてきたのか、なぜ弱さのない存在に惹かれるのか。
それを善悪や感情の問題としてではなく、構造として捉え直そうとしている。

結局のところ、私にとって最も未知なのは、常に自分自身である。
最初から観察対象であり続け、それでもなお輪郭を結ばない存在。
人格を作り、統合し、完成度を高めてきたその中心に、確定した「自分」はいない。
その不確かさこそが、この構造を生み、維持し、そして今も問い続けさせているのだと思う。

内部の構造は文章にできるほど簡単じゃ無かったようです
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