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ASH

ASH

2月で44歳になる。
この年になって思うのは、僕はもう長く生きすぎたのだろうか、ということ。
会社はもう44歳の僕に期待もしていなければ、何も求めてもいない。恋愛市場においてもこの年の男性に価値などない。同性からしたって同じことだ。
僕のプライムは終わったのだから。
端的に言えば、人との関わりの中に、僕の需要はもうないということだ。

だが、僕の体はまだ期限切れにはなっていない。
先週より飛べるし、走れる。
15kmでも走れるし、12Rでも戦える。資格だって取れる。
需要に供給しないスキルと体に使い道があるのだとしたら?

40代独身って多分、人との関わりの中にある需要という要求から解放されて、自分のために生きる人生の始まりと位置付けられるのではないだろうか。僕はこの力と体を、僕のために使えばいいのではないか。

もう需要に応える必要はないというのは、寂しいかもしれないが、もしかしたらこれは僕たちがこの半生でずっと憧れてきた「自由」と呼ぶべきものなのではないだろうか。

燃え尽きるまでこの自由を進んでみようと思う。
80歳になってもランニングシューズを履いて、サンドバッグの周りを飛びながらパンチを打ち込んで、若い世代の前でミットを持って回音を鳴らす、そんな自分になれるだろうか。

なんのためにって?その「なんのため」っていう意味を求める必要がないことを、自由って呼ぶんじゃないのかい。
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