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虹

私子ども3人いるんですが、末っ子が男の子なんです。まだオムツ変えるときにお尻拭きでふくとき未だに『大丈夫!?痛くないの!?』とビビりながら拭いてるレベルです
末っ子は1歳1ヶ月です。
産まれて1年経つのにまだちゃんとした熱を経験したことないんですが、スレッズ徘徊してたら知りました


きん○まって体温によって状態変わるん!!!!?????????
うそでしょ!!!!!!!
なんてわかりやすいものをお持ちで!!!!!!!!
(感心してます)
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いさめ

いさめ

だめだこりゃ
今日は休むわ
無理くり行こうと思ってたけど微熱が普通の熱になっとるもん休むわ
明日は元から休みだしゆっくりするわい
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鶏のつい🐔🐈‍⬛

鶏のつい🐔🐈‍⬛

\(` •ω• )/\(` •ω• )/
昔➡物知りで丁寧なお姉さん

今➡︎あざとかわいい男の子、同じ鳥なのに凶暴で鶏を食べるから怖い。なんでも知ってて知らない事はない、知りすぎてて一周まわって冷めてる、なんでも出来る、世話焼いてくれるとても頼れる人、まじでこれからも面倒かけます!面倒見てください!!!よろしくお願いします!!!
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孝弘

孝弘

おはようございます。1月5日月曜日。今日の一言。
1941年のこの日、アニメ界の巨匠、宮崎駿さんがこの世に誕生しました。ご存知スタジオジブリの取締役です。文化功労賞も受賞している、もはや偉人のレベルに達している方ですね。そんな宮崎駿の言葉で
「自分で、すぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない」
てものがありますね。
全くその通りですが、良い意味で「ま、いっか」と流せることも大切です。あまり失敗をくよくよ悩みすぎてもよろしくありません。自分に厳しく、時には緩く、という感じが一番良いのかもしれませんね。
さて今日から出勤、という会社も多いかもしれません。『正月気分とアルコール』はしっかりと抜いてきていますか。どちらも抜けてないけど「ま、いっか」はダメですよ。気合いを入れて、気分を入れ替えて頑張って参りましょう。
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かなこ

かなこ

2026/01/04 朝
第一子男児産まれました!妊娠高血圧で帝王切開覚悟での普通分娩、赤ちゃんがすごく頑張ってくれて無事に経膣分娩できました!
不妊治療頑張ってよかった。諦めてたら出会えなかった尊い命、しっかり責任持って育てていきたい。
夫にも感謝、前向きに不妊治療に参加してくれて、妊娠中も身体に気を遣ってくれて、長かった陣痛も私の血圧が爆発しない様にマッサージしてくれたり、分娩中もサポートしてくれて本当に力になりました。
夫と夫婦になれて、親になれて本当に幸せ。
これから育休1か月、新生児期2人でどんな成長を見守れるのか楽しみだね。

以上、自己満足余韻投稿失礼しました🥹

妊娠の星妊娠の星
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なん

なん

実力と経験がつくのを我慢するってのと、動くなら早い方がいいってのは両立するのか?
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まいか

まいか

11ヶ月の娘が生まれて1番夜寝れなかった日。
手があまりかからない娘だったから気づかなかった。

普通自分の娘が遠い慣れない土地で一人で(夫有り)育児してんだから
ご飯食べれてるか?
寝れてるか?
育児で困っていないか?
何か欲しいものあるか?
とかそういう心配するんじゃないの?

産褥期に2〜3回お父さんにこの間のお礼で〇〇送ってやってくれって催促したり
お母さんはいいからお父さんに連絡してやってくれとか
たまにはなんか送って機嫌とってくれとか
なんでこっちが親機嫌とらなきゃいけないんだよ。

これが他の育児に悩んでる人たちのような生活だったら縁切ってるぞ
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なお

なお

隣人を愛せよ、と神は言った。それなのに、なぜ宗教は殺し合うのか?

SNSで話題のあの衝突を見るたび、胸が苦しくなります。

同じ創造主を信じる者同士なのに、なぜこれほどまでに傷つけ合うのだろう。
「隣人を愛しなさい」という教えは、どこへ行ってしまったのだろう。

そんな問いを抱えながら、僕は最近『申命記』のある一節と深く向き合っています。

申命記10章19節ー「寄留者を愛せ」という命令

「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったからである」
(申命記10:19)

ここで言う「寄留者」とは、ヘブライ語で「ゲール」גֵּר といいます。
土地にも血筋にも属さない、文字通り「よそ者」のこと。

この命令が語られた背景を、僕はマンガを描きながら考えました。
イスラエルの人々は、エジプトで長く「寄留者」として、つらく苦しい経験をしました。
自分たちが味わったその孤独と痛みを忘れないために、
神は「寄留者を愛せ」と命じたのです。

ここで使われる「愛する」という言葉は「アハヴ」אָהַב。
単なる感情ではなく、具体的な行動をもって示す愛。
保護し、正義をもって扱い、共に生きることを選ぶ意志的な愛です。

戒律の中にある、深い「記憶」の力

僕がこの節から学んだことは、神の戒律の根底には「記憶」がある、ということです。

「あなたたちも……であったからである」

この言葉がすべてを物語っています。
自分が苦しんだ者だからこそ、他の苦しむ者に手を差し伸べられる。
自分がよそ者であったからこそ、今のよそ者を心から受け入れられる。

では、なぜこの「記憶」が失われ、隣人への愛が戦いに変わってしまうのでしょう。

僕の気づきは、こうです。
私たちは、自分が「寄留者」であったことを忘れ、いつの間にか「土地の主」になってしまうのではないか。
かつての自分に必要なものを与えてくれた「神の愛」を、
今度は自分が与える側として実践するのではなく、
自分の立場や教えを守る「権利」にすり替えてしまっているのではないか。

同じ創造主を信じる者同士で、殺し合いが正当化される時

モーセ五書を読むと、神は確かに戦いを命じる場面もあります。
しかし、それは決して「信仰の異なる者を抹殺せよ」という無差別な命令ではありません。
むしろ、神の正義と契約に基づく、限定的なものでした。

そして、そのような文脈でさえ、神は繰り返しこう言われます。
「寄留者を虐げてはならない。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったのだから」

この根源的な記憶と共感が抜け落ちた時、
「神の名」が、自分たちの憎しみや恐怖を正当化する道具にされてしまう。
僕はそう考えずにはいられません。

問いを抱え、共に五書を学ぶことから

僕にすべての答えがあるわけではありません。
今、世界で起きている複雑な対立を、単純に解決できるほど聖書は浅くない。
だからこそ、僕は学び続けています。

モーセ五書は、神と共に生きるとはどういうことか、
隣人とは誰か、を問い続ける書物です。
その問いを、僕はマンガという形で共有したい。
読みやすく、でも核心からは逃げずに。

同じ創造主を信じながら、なぜ私たちは傷つけ合ってしまうのか。
その答えは、もしかしたら「あなたも寄留者であった」という
シンプルすぎるほどの記憶の中にあるのかもしれません。

気になった方は、ぜひAmazonで『モーセ五書 マンガ 石川尚寛』と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。

僕自身、読者の方々と共に、この難しい問いを五書から学び続けたいと思います。

#モーセ五書マンガ
#隣人愛
#聖書の問いかけ
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