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塩分

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感情の罠に落ちるな 重複立候補否定と比例削減の愚かさ 

衆議院選挙の重複立候補をめぐる議論が、再び感情の渦に飲み込まれようとしている。自民党内の「裏金」問題を口実に、比例復活を封じる動きが強まる中、国民の直感的な「落選は落選」という叫びが制度の根幹を揺るがせている。だが、この感情論こそが、民主主義の最大の敵だ。重複立候補の否定は、単なる一過性の怒りの発散に過ぎず、結果として政治の多様性を自ら葬り去る愚行である。加えて、現状で衆議院の比例区議席を削減する動き――自民・維新の連立協議で浮上する46議席減の案――も、同じく感情の暴走に過ぎない。これらを冷静に解体し、その愚かさを明らかにしよう。 

感情論の否定が愚である理由は、民主主義の本質を無視する点にある。小選挙区の「勝者総取り」は、確かに爽快なドラマを生むが、それは同時に有権者の半数近い票を「死票」として葬り去る残酷な仕組みだ。重複立候補は、この死票を比例の鏡で救い、多様な声を国会に届けるための救済弁である。それを「ゾンビ復活」と嘲笑し、感情的に排除しようとするのは、複雑な社会を単純化する幼稚な思考だ。たとえば、2021年衆院選で比例復活した議員たちが、野党の標的にされた事例を見よ。あの時、SNSで渦巻いた「不公平だ」という憤りは、正義の名の下に制度の合理性を踏みにじったに過ぎない。民主主義とは、多数の勝利を祝いつつ、少数派の叫びを無視しないバランスの芸術である。感情がこのバランスを崩せば、政治は二大政党の独占に陥り、国民の選択肢は貧弱になる。重複否定は、そんな停滞の第一歩だ――それは愚かであり、許されざる自己欺瞞である。 この愚かさをさらに際立たせるのが、現状の比例区議席削減論だ。衆議院総定数465のうち、比例176議席は、多党制の生命線を担う。維新の吉村代表が「身を切る改革」の名の下に50議席減を要求し、自民との協議で46議席減の合意が報じられている今、この動きは感情論の延長線上にある。

「議員を減らせば無駄が省ける」という直感的正義感は魅力的だが、それは中小政党の壊滅を意味する。比例削減により、得票率5%前後の政党――れいわ新選組や参政党のような新興勢力――が議席ゼロに追い込まれ、保守やリベラル派の声が国会から消える。2009年の政権交代や、近年の中道勢力の台頭を支えたのは、この比例の柔軟性だった。それを削れば、政治は大政党の独壇場となり、国民の不満はさらに募るだけだ。維新の「死活問題」との指摘通り、中小政党の存続すら危うくなるこの案は、感情の満足のために民主主義を犠牲にする愚策である。

 感情論の罠は、常に「今すぐの正義」を優先し、長期的な悪影響を無視する。重複否定は死票を増やし、比例削減は多様性を殺す――両者は連動し、政治の停滞を加速させる。真の改革とは、こうした感情の暴走を戒め、制度の合理性を守ることだ。名簿の透明化や惜敗率の公正運用で、重複のメリットを最大化せよ。比例議席の維持で、国民の声を豊かにせよ。感情に流されず、冷静な視座を取り戻す時だ。さもなくば、わが国民主主義は、自らの手で自滅するだろう。
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コメント

早くに目覚めた土曜日

早くに目覚めた土曜日

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与党内で政権から政治資金が配分され公認をもらう議員だけが国会を占めれば、国会審議自体の意味を失います。 今すでに与党議員の質疑が「これは〇〇と言う意味がある、そうですよね?大臣」という茶番ばかりであることが示しています

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さお

さお

昨日仕事終わりに初詣行ってお寿司食べに行って満足[ほっとする]
おみくじは半吉やった笑
吉の半分?笑
今日も今日とて仕事行ってきまーす
ε=ε=┌( ˙꒳​˙ )┘
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シラフ

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やはり正しさに戻るな
では、正しさに対してこちらの方が正しいと主張したくなる理由は?
好き嫌いは比べなくて良い性質があるから、正しさは優劣が存在するから
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Copeau/こぽ

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正月休みで見事に乱れた生活リズムを逆手に取って、朝早くからお出かけをする恋人さんに朝ごはんとしてホットサンドを作ってあげることに成功しました。嬉しそうに食べてもらえて大満足したので寝ます。おやすみなさい。
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こ〜ちゃん🌱

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あたたかい湯船へ、そしてバトンはつながれて
母は87歳。
10月、家の中で転倒し、腰の骨を骨折した。
そのまま入院となり、長い病院生活が始まった。
病室で、母は何度も同じことを言った。
「お風呂に入りたいなぁ……」
それはシャワーではなく、
湯船にお湯を張り、肩まで浸かる“家のお風呂”だった。
入院してからというもの、
母は一度も湯船に入れなかった。
病院で許されるのは、時々のシャワーだけ。
あたたまりたいのは身体だけじゃない。
きっと、心もだった。
12月24日。
母はようやく自宅へ戻ってきた。
退院後の生活は、まだ始まったばかり。
ヘルパーさん、訪問リハビリ、ケアマネさん。
多くの人の支えを受けながら、
少しずつ、家での時間を取り戻していく。
病院からは言われていた。
「ひとりで湯船に入るのは、まだ危険です」
最初の訪問リハビリの日。
浴室で動作確認をした理学療法士さんは、
穏やかに、しかしはっきりと言った。
「手すりが1本必要ですね。
 これがないと、転倒のリスクがあります」
その言葉を聞いた帰り道、
私はすぐに動いた。
私はDIYが比較的得意で、
電動ドリルやインパクトドライバーも使い慣れている。
――できることは、自分でやろう。
ホームセンターで
浴室ユニットバス用の手すりを選び、
壁の構造を確認する。
ユニットバスは壁が薄い。
だからこそ、
アンカーと呼ばれる特殊なネジを使い、
内部でしっかり広がって固定される方法を選んだ。
電動工具で慎重に穴を開け、
アンカーを効かせながら、
一本一本、確実に締め込んでいく。
「これなら大丈夫。
 体重をかけても、びくともしない」
自分の手で、安全を形にできたという確信があった。
数日後、2回目の訪問リハビリ。
私はお願いした。
「母が、どうしても湯船に入りたがっていまして。
 前回のアドバイス通り、手すりを取り付けました。
 一度、これで確認していただけませんか」
理学療法士さんは、
母の動きを丁寧に見守り、
手すりを握る手元を確認し、
ゆっくりとうなずいた。
「これなら、見守りがあれば入れますね。
 あとは、滑り止めマットがあると、さらに安心です」
その日のうちに、
Amazonで浴槽内に沈めて使う
滑らないマットを注文した。
翌日には届き、準備は整った。
その情報は、
ケアマネさんを通して共有され、
訪問リハビリ、ヘルパーさんへとつながっていった。
そして、初めての“家のお風呂”。
その日は、ヘルパーさんではなく、
私がそばで見守ることにした。
手すりを握り、
ゆっくり、ゆっくりと足を下ろす母。
滑り止めマットの感触を確かめながら、
慎重に身体を沈めていく。
「あぁ……あったかい……」
その一言で、すべてが報われた。
湯船に浸かる母の背中は、
少し小さく見えたけれど、
久しぶりに、心から安心した表情だった。
けれど私は、
この時間がずっと続かないことも知っている。
あと1週間で、
私は950km離れた自分の家へ戻る。
だから今、
私がやっているのは「全部を抱え込むこと」ではない。
安心して暮らせる仕組みを整え、
人から人へ、バトンを渡していくことだ。
ケアマネさんへ状況を伝え、
ヘルパーさんと動線を共有し、
訪問リハビリとも情報を揃える。
私がいなくなっても、
母の暮らしが途切れないように。
湯気の向こうで目を閉じる母を見ながら、
私は静かに思った。
――支える形は、そばにいることだけじゃない。
――つなぐことも、立派な支えだ。
浴室の外で、
お湯の音を聞きながら、
私は次の人へ渡すバトンを、
そっと胸の中で確かめていた。
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らいき

らいき

ほんと、女性は言葉だけ

重いの平気とか色々大丈夫とか言っておいて、追いメッセしたら無視して他の人と話してるって最低すぎる。
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