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はるまき
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こ こ

おっく
#konokatalk

ねこ ¨

あお🫧
回答数 45>>
グラウンドを一面使って、大人たちがゲートボール。申請済みらしい。
そこを、低学年らしき子どもが一人、走り抜けた。
するとすかさず、「じゃまだからこっちに入ってこないで」と叱られる──
いや、それって逆じゃない?
グラウンドを占有したいなら、まず大人こそ有料施設を借りてほしい。
公園って、子どもが自由に走り回る場所じゃなかった?
子どもが静かに遊ぶと思ってるの?
あなたはどうだった?
走って、転んで、叫んで、汗まみれで、
いつの間にかルールを覚えて、ケンカして、仲直りして。
遊びの中で、育ってきたんじゃない?
公園の近くに住むって、
「子どもの声が聞こえる場所に住む」ってことじゃないの?
あとから公園ができたのだとしても、その説明はあったはず。
それが嫌なら、山奥に住めばいい。
都市の中に“子どもの声の消えた静寂”を求めるのは、傲慢だと思う。
子どもは声をあげない。
だから、言ったもん勝ちになる。
それが今の社会。
強く、大きく、早く言った方にルールが傾く。
そして、すぐ「ハラ」の名を借りて黙らせる。
“〇〇ハラ”の時代。
何かといえば不快、不安、不適切。
でもそれって、耳障りなものを排除して、自分だけの快適を保ちたいだけじゃない?
結局、“ことなかれ”と“自己中”の合作なんだ。
公園のあり方は、社会の本性を映す鏡。
誰の声が通り、誰の声が押し潰されるか。
それを見ている子どもたちは、
きっと「声を出さないほうが得だ」と学ぶだろう。
それ、ほんとにいいの?
私は、吐き気がする。
“子ども”が絡むと熱くなちゃう😅
ボール遊びを禁止することで、本当に守っているのは誰か?
誰の「安心」で、誰の「自由」が削られているのか?
今、もう一度問い直す必要があるのは、
「ボール遊び」ではなく、私たちのなかの「利他心」なのかもしれない。

わんこ

きむあ

酒ざこ
ソースはmarcaならそこそこか

ころこ

らび

ピロ中
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