誰かの‥味方で在りたいと思う。いたいと思う。そんな誰かの味方で在りたいの。でも、きっとなんだかそれも違うのかなぁ。きっと違う。そう思う…私は本当は、「誰かの味方」誰かだけの味方じゃなくてみんなの味方で在りたいんだ。こんな事言ったって綺麗事にしかならないし意味なんて無いのは
「古典が今も最新の作品といっしょに書店の棚に並んでいるのは、お慈悲とか偉そうにするためとかではなく、そのおもしろさで常に最新の作品としのぎを削り、その競争で生き残ってきたからだ」というどこかで見たレビュー、私も本当に心からそう思う。