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めんちかつ
私が自分のルーツをたどるために、両親の家の菩提寺に行ったり、そこで過去帳の開示を求めたり、お寺の歴史を調べたのは過去の記事のとおりである。
結果からすると、何もさしたる情報はつかめなかった。私の独断的な判断なのだが、私の父親の家の寺の場合は、神仏分離、廃仏毀釈、1872年の修験道禁止令以前は修験寺だったのではないかと言う事だ。実際修験寺だったという記述は歴史書にはなかったのだが、修験者たちの宿坊は実家の寺の近くにいくつもあったとは書かれていた。
最近私は企業訪問や社会活動で、熊谷市の旧妻沼地区を訪れる機会を得た。熊谷市の中心部と違ったのは、その地域が聖天山歓喜院と呼ばれる大きな歓喜天を祀った寺を中心にまちづくりがなされていることだった。
当然地元の方は仏教や仏様、お坊さんやお寺の事を深く尊敬しており、私は妻沼地区で企業や商店を訪問した際、哲学や宗教の話をしたのだが、何も忌避されることは無かった。
話は戻るが、熊谷市という名前の理由、由来はいくつかあるようだが、熊谷と言えば平家物語に出てくる熊谷直実と、彼が建立したと言われる熊谷寺を思い浮かべる方が大半なのではないだろうか。
しかし、熊谷寺と熊谷市を訪れる多くの仏教ファン、歴史ファンにとっては周知の事実だが、熊谷寺には通常、一般人は入れないし、参拝もできないのである。このことについて、そもそも熊谷寺は宗教法人であるし、檀家でもないのに一般人が立ち入れることの方がおかしいとか、いろんな意見はあるが、おそらくは一般人が参拝できた太平洋戦争以前は、熊谷寺は地域にとって宗教施設であるばかりか、精神的支柱、経済の中心であり、そこにお参りできない、観光客も入れないと言うのは、少し立ち止まってみて、おかしいと思わざるを得ないのである。そしてこのことが問題なのは、大半の熊谷市民がその理由を知らない事である。
今回私は市民として責任、知る権利の行使も必要だと感じ、熊谷寺に手紙、浄土宗の知恩院にEメール、熊谷市のおそらくは担当課である熊谷市教育委員会社会教育課に、なぜ熊谷寺が一般参拝ができないのか質問を送ってみた。結果は後日報告したい。

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