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リクリ
特に今回は、SNSでの「投稿に対する否定」について。
投稿の内容にもよるけど、肯定的・否定的なコメントがつくのは当然の現象。でも、モラルの面から見れば、否定的なコメントや、主旨から外れたコメントは「余計なもの」と感じる。
投稿には、主旨に寄り添う読解力や、共感的な姿勢が求められると思う。読解力が不十分だと、自分語りに逸れてしまったり、投稿内容を正しく受け取れなかったりしやすい。
もちろん、主旨から外れてしまっても、素朴な疑問を持つことは自然なこと。でもそのときは、教えを乞う姿勢や、丁寧なやりとりの意識が必要だと思う。
SNSの主導権は基本的に投稿主にあります。違う意見があるなら、自分の投稿で表現するのが本来のかたちかもね。GRAVITYのように「優しいSNS」を目指す場なら、なおさら、そうした配慮をした方が良いかも。
ただ一つ、気をつけたいのは「肯定コメントだけで盛り上がりすぎる」こと。確証バイアスが働き、誤った方向に進んでしまうリスクもある。だからこそ、批判ではなく対話的な問いかけや補足があると、より健全なやりとりができるのではないかなぁ。
コメント
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モ!
僕が好きな言葉はアウフヘーベン(僕の理解ではプリンが食べたい人と果物が食べたい人が協力してプリンアラモードを作る感じ)なのですが、まず対等であろうとすること。あるいは礼を持って丁寧に接する姿勢がないとできないと思います。否定から入るのは日本文化的な対話の姿勢から言うと戦の法螺貝が鳴り響いている様ですよね。良くない。しかしながら西洋式だと対等なればこそ否定から入ることもありそうだなと思います。(海外に行ったことのない私です)。海外式にしろ否定から入ってアウフヘーベンすることってあるのでしょうか?うむむ。なさそう。とっちらかったコメント失礼しました
餃子
寄り添ってもらうか、寄り添わせるか、虚しいけど、案外その小手先で振り回し振り回されてる人は少なくないなと思う。そんなような身を削り合う議論、嫌いではないけど、得意ではない人にとっては自衛的な姿勢、それこそエコーチェンバーも辞さないようなフィルタリング、シェルタリングは大切なのかもしれない。悲しいけどインターネットは結局魔界。