鑑賞サイドにいる人間は、意味にばかり翻弄されてしまうけれど、その意味が生まれる前の材料集めと取捨選択の段階にこそ、その制作者の感性とやらが宿っていることを覚えていた方がいい。私はそれに気付いてから制作を始めた。鑑賞サイドでは、見ることのできる景色に限界がある。もっと果てない宇宙を見たいしなんなら掴みたいしあわよくば握り潰したい。