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ともき
その旅の中ば、ヒマラヤ山中で出会ったサドゥ(巡礼僧)の話。
出会った場所はヒンドゥー教の聖地へ向かう途中の小さな町。人もまばらな町にいるサドゥなので同じ聖地に向かう本物だと思い、私から声をかけた。チャイとサモサをご馳走して話を聞かせてもらう。
50歳程度に見えるサドゥはもう25年巡礼しているとのことだった。
「いまから聖地にいくんですか?」
「まあな。もうあそこは4回目だ。」
「すごいですね。何があるんです?楽しみです」
「あ?なんもねーよ、聖地なんて。寺とかもないとこもあるし」
「え、でもご利益とかあるから行くんですよね?」
「は?ないない(笑)巡礼ってそう言うんじゃないから(笑)」
25年のベテランサドゥは砕けた語り口で続ける。
「じゃあ…なんで巡礼してるんです?」
「日本のにいちゃん、巡礼はな、目的地に価値があるんじゃねえんだよ。着いたって翌日には次の聖地に向かうんだから。場所に意味なんかねぇよ。
いいか。そこへ向かう一歩一歩に価値があんだよ。一歩に価値を見出せないならバスでいきゃいいんだよ。
これはな。自分の内側にある聖地に向かう旅なんだよ」
そうか。
私の旅は、興味あるかもわからない観光地を選んでなんとなく行ってるだけ。
でもとても楽しい。その道中が。一歩一歩が。巡礼と同じかもしれないな
旅から帰っても
大学、就職、昇進、挫折、別離、全部聖地だけどね。着いたって翌日にはまた出発だよ。場所には意味がないんだな。
そうだな。
日々の一歩一歩が。外から見えない、内側にあるどこかに向かってるんだな。



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