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けい🕊
っていうお話し。
頑張っても報われないとか、よく聞くけれどもさ
そもそも頑張りは「報われる」もんじゃないんじゃないかなー、と思うんだよね。
先に「報われる」の話をするけれど、
人は何か成果や高評価があったとき、報われたと感じると思うんだよね。
じゃあこの「成果」ってどうやって手に入るかっていったら、努力したかどうかじゃなくて「正しい行動をしている」と、評価されて成果って事になってる気がする。
この「正しい」の基準はいっぱいあって
法的に正しいとか、倫理的に正しいとか、人情的に正しいとか、目的を達成するために正しいとか
まあ、多岐にわたってしまうので
評価する人がどこの軸で物事を考えるのか、どの軸で判断することが求められるのか
っていうのが、この「成果」に大きく影響しちゃう訳よね。
例を出すなら
人情的に正しいと思って家出してきた子供を匿ってたら、法的に正しくないっていって誘拐で裁かれるみたいなやつ。
ある層は、きっと賞賛するけど
ある層は、他にやり方があったって言うだろうし
ある層は、その行動を全否定するかもしれない。
そもそも「成果」が価値観の差によって決まるあやふやなもんなのだとしたら
そもそも「報われる」っていうのが、難しいのよねぇ。
だって、自分自身ですら、1年前とは価値観が違うんだもん。
じゃあ、この「頑張る」って、みんな何のために頑張ってるのって話なのよ。
成果も、評価も、色んな判断基準があって
得るのが難しいのだとしたら
「自分の頑張りに、自分が報いる」のが
1番簡単で大事だと、思わん?
なんのために頑張ってるのか分からなくなる時ってあるよね。
頑張らないと切り抜けられない場面ってあるよね。
他者は、報いてくれないかもしれないし、そもそも頑張ってる事すら知らないかも知れない。
でも、自分自身が正しいと思う事に向かって頑張って、それに報いてあげられるなら
それは立派な成果だし、正しい行いだし頑張った甲斐だってあるでしょう?
例え間違っていたとしても、挑んで学んだ自分に「ナイスファイト」って言えるでしょ?
頑張りは、報われないよ。
頑張りには、報いるんだよ。
そのために必要なのは「自分の心が、自分の行動を正しいと思えるかどうか」だと思うのよ。
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自分を褒めてあげられるのは自分だけ だから、自己肯定感歪めらて自分を否定することが正しくなってしまった人は可哀想だし、そういう人ほど頑張っても報われないって言葉を使いがちかなと思う。