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rrr
「バナナはおやつに入りますか?」という言説について、マジで真剣に議論する、みたいんなのが好き。
自分の見解としては、まず「おやつ」というものの集合をつくるコトが大前提と考えています。
すなわち、母集合をまず定義して、その中で「おやつ」の集合を定義することではないか、と。
しかし、言語の本質というのは「誤解」でしかなくて、対話において何かが理解し合えた(ようにみえる)状態というのは、言語を交換し合った結果「お互いに分かり合えた」「意思の疎通がしっかりとれた」という、究極の誤解に到達した状態である、という点も加味して考えていくと、もっともっと議論は深まります。
「理解とは誤解の総体である」
「理解とは概ね願望に基づくものである」
ところで、今私は「議論が深まる」ということを言いましたが、この言説自体がコレまでの文脈を逆手に取ったアイロニーでもあるのです。
「私達は対話によって理解し合うことが本質的に不可能である」ということを、対話によって了解し合おうとしている、非常に逆説的でメタフィクショナルな状況です。
…みたいな。
面白くない??
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ぷぅ
絶対に完全に理解し切れてはいないんですけど(?)すごくわかります。 個人的には各々にとってのバナナの認識・おやつの定義がバラバラで話が拗れるほど楽しいです。 まぁ悲しいことに「バナナってさ、おやつに含まれると思う?」と議題を振っても「は?何言ってるの?」とぶった斬りに来られることが世の中大半ですが…
ウタカタ
例にしたって、話が逸脱していて議論が本質的じゃない。結論が聞きたかった。