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THE 1993
芸術としてはよかったけど、求めていたジョーカーではないなあ、と思った。
スカッとする場面が一歳ないんですよ。ジメジメしている犯罪者を描いた日本映画みたいで。
ただ、映画として構造がとても良くできている。
まず、作品の途中まで、主人公のアーサーはジョーカーになりきっていて、ヒロインであるリーを含め、社会的にジョーカーとして、崇拝されるようになる。
しかし、よく見ると、その過程で、アーサーとリーが心を通じ合って会話していたのは、歌の中だけ。ここで言う歌とは、映画的にはフィクションをメタ的に表現していることが多く、2人がちゃんと会話したのは、実はジョーカーというフィクションになりきっていた時だけなのだ。
クライマックス手前のシーンでリーが歌うところのアーサーのもう歌わないで、話そう」というセリフに、グッと来た。
まさかここで、作品そのもの自体へのメタ拒否が入ると思っていなかった。リーの髪が短くなっていたのも、否定的な表現を助長させていたのはとてもよかった。
さらに、クライマックスでは、前作同様のジョークを使われたのは、そのメタな否定発言に対する皮肉も最高に効いていた。すごいね。
ただ、みんなが思っているジョーカーの映画ではないの確かで、アーサーが悪のカリスマに成り上がることはなかった。
それは、逆にトッド・フィリップスの「ジョーカー」らしいと言えば、ジョーカーらしいのだが、世間的には賛否両論になるのもうなずけるなぁ。
コメント
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かくと

ゴロリ

ふらふ
その前はキャンディード序曲とかアルヴァマー序曲とか
エルカミーノレアルは一番起きれた

ぶりり

トム@TMS
めちゃくちゃ櫻坂であり櫻坂じゃない。
何かにリファレンスが引っ張られること自体は悪じゃなくて、参照から何を抜き出してらしさに昇華するかだと思う。それなりに大きい箱を持っていながら安牌を切る姿勢が気にくわない。

一条睦

めろん

🌟🌟

O-ふみ

おせる
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ジン
すごく深い考察ですね。 私も考察してましたが、あなたの投稿を読んで合点がいきました。 個人的に今回の映画で気になるのは「これタイトル詐欺じゃないの?」って感想です。 作中の誰もがアーサーでなくジョーカーを求めてる。心が通じていたと思ったリーもジョーカーとしてしか見ていなかった。 アーサー本人を見ていたのはゲイルだけ。加えるなら弁護士もか。 アーサーは世間に祭り上げられ、ジョーカーになりきってしまったけど最後にアーサーに戻り、人々に失望された… でも視聴者はみんなジョーカーを観たかったはず。 何でそういう方針にしたんでしょうね? 現実でジョーカーに感化された人間の目を覚ますためでしょうか…