好きなものに対して「どう好きなのか」「何故好きなのか」、言葉にも確かにもする必要は無い筈で実際「ぼんやり好きでいいじゃん」と思いつつも、「曖昧に不確かに好きなのは失礼ではないか?(何に?)」という感覚もまたぼんやりある