作品は「作品として在る」だけでもうそれ自体はそこで完結してる、完成してるからそこに感想を持つ、行間を読むのはある種の蛇足でもあるのかなって「完成してる」は「行き止まり」でもあって現代においてその蛇足こそが作品に対して求められてることのような気がして考え始めるとむずかしいね