投稿
しゅう
周りの人々が「ちらちら」とみたり
逆に 自分の周りから 移動される事がある件
でも「日本語」を話すと
全然 ちらちらと見られなくなるお話
多分「外国人」に対して
「不安・珍しい」と感じていて
外国人に慣れない日本人が
自分のことを「アジア系外国人」と思ってる話
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Saki


いつき@茨城
茨城の田舎でもコンパスやっている人いるのかな…周りにやっている人がいなすぎて😭

こたつたこ
っていう妄想をして生き延びます。

トンボ
回答数 51>>
日本人ですか?と質問する。

適当楽者

とろ
めちゃくちゃ静かな時間。
落ち着く。
いろんなことを考える。
今年の誕生日で半世紀かー、歴史感じるなーとか。
今までの人生なんだったんだろうなーとか。
毒母のおかげで未だに苦しんでる。
娘の制服やら体操着やら下着やらも売るような毒母。
売るか只で男にあげてたのか…まあ、飲み代のために売っていたのだろう。
中学の恩師が手配してくれてやっと受けられた120万の返済不要の奨学金も、毒母の飲み代に消えていた。
他にもエピソードは数々あるが、ほとんどのことは毒母の死後知った。
だから怒りも嘆きも、全部自身に向かう。
毒母と毒母にすっかり洗脳された弟の世話をしなければ、私は今もあの人といただろう。
あの人を死なせることはなかっただろう。
他にも私自身にも原因はあっただろうけど、今のようにはなっていなかった。
毒母に私も小さな頃から洗脳されていた。
マスコミにさえ簡単に洗脳されるのが人間。
洗脳元が親ならば、その洗脳がどれほど強固なものであるかは自明。
たらればだが、私が10歳くらいの時に今のようなネット環境があれば、もっと早くに気づけただろう。
当時は周りの大人も被害者ポジションに常に立つ彼女の言うことを信じ、「あなたがお母さんを大事にしないと駄目」と繰り返し教えられた。
一人目の弟の危篤状態にずっと夜通し看病したのは私で、彼女はいびきをかいて寝ていた。
弟が最期に呼んだのは母ではなく、「お姉ちゃん」だったらしい。
けれども、葬式を手伝いに来てくれた大人に言われた。
「一番悲しいのはお母さんだからあなたはしっかりしなさい」
当時、高校生だった私は葬式でも通夜でも泣くことを許されなかった。
母を含め、もう一人の身内もそうだが、違法薬物をやった人間は人に非ず。
母は私が生まれるまでやっていたのだから、私に精神疾患があるのは当然と言えば当然。
もう、いろいろするのは諦めて、ゆっくり余生を過ごしてもいいのかもしれない。
恨みつらみはだいぶ薄れたが、やっぱり死にたくはなる。
何より自身が許せんし。
生きてはいく。
屍のように生きてもいいかな。
人に直接迷惑をかけなければ。
#こんばんはGRAVITY
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