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そもそも、公共性とは何か。
それは価値観の一致ではない。ましてや善意の総和でもない。
公共性とは、互いに信用できない他者同士が、それでもなお同じ言葉を使い続けてしまう、という事実の上にだけ成立する。
正義という語を考えてみればいい。
人によって内容が異なることは、誰でも知っている。それでもなお、人は「正義」という語を使う。その語が完全に私物化されていない、という一点において、すでに公共性は発生している。正義の中身が共有されている必要はない。共有されているのは、その語を公共の場に出してよい、という了解だけだ。
ここで重要なのは、公共性が「分かり合えた証拠」ではなく、「分かり合えなさを前提に、それでも語を手放さないという態度」だという点だ。
近年、公共性を語る文脈では、しばしば「内省」や「配慮」が強調される。しかし、その多くは実のところ、公共性の強化ではなく、回避として機能している。語彙を整え、態度を柔らかくし、衝突を避ける。その結果として残るのは、誰も責任を引き受けていないが、誰も反対もしていない、という奇妙な静けさだ。
だが、公共性は静けさの中にはない。
公共性が立ち上がるのは、言葉が衝突したあとだ。
自分が何を言っているのかを自覚し、その言葉が他者にどう届きうるかを想定し、それでもなおその語を使う。そのとき、語は単なる表現ではなく、行為になる。公共性とは、この言語行為としての責任を引き受けることに他ならない。
だから、公共性を嫌う人間の特徴ははっきりしている。
彼らは他者を信用していないのではない。
むしろ、他者に言葉を返される可能性を嫌っている。
言葉は返ってくる。誤解も、反論も、拒絶も含めて。
それを引き受ける覚悟がないまま公共性を語ることは、公共性を装った撤退にすぎない。
公共性とは、正しさの問題ではない。
どの正義を採用するか、という話でもない。
「この言葉を公共の場に出す」という選択をした以上、その語が引き起こすすべてを、自分の問題として引き受けるかどうか、その一点に尽きる。
合意しなくていい。
分かり合えなくていい。
ただ、言葉を使ったという事実だけは、消せない。
公共性とは、その消せなさを前提に生きる、という態度の名前だ。
🦭🐦⬛🐿

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