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吉田賢太郎
「正しいこと」を言う人は、ちょっと怖い。
「助けてあげる」と言う人は、なんだか偉そう。
政治や宗教は、言葉が難しくて、
いつの間にか「誰が正しいか」のケンカが始まる。
でも、本当に世界が変わる瞬間は、
もっとずっと、軽やかで、笑える場所から生まれる。
1. 「正しい」より「楽しい」が最強
理屈で説得されたことは、すぐ忘れる。
でも、友達とバカ笑いして「これ最高じゃん!」と思ったことは、
心の中にずっと残って、誰かに教えたくなる。
世界を動かすのは、教科書の正解じゃない。
君の心が「いいな」と跳ねた、そのリズムだ。
2. マウンティングを脱ぎ捨てろ
賢いふりをして教えるのは、ダサい。
かわいそうだと思って助けるのも、なんか違う。
「ノリ」には、上も下もない。
ただ、その場にいる全員が同じビートに乗っているだけ。
性別も、成績も、立場も関係ない。
「おもしろそう」という旗の下では、みんながフラットでいられるんだ。
3. 重たい鎧より、軽いスニーカー
真面目すぎて動けなくなるくらいなら、
「なんとなく、こっちの方がイケてる」という直感に従おう。
歴史を変えてきたのは、いつだって
「この空気、変えちゃおうぜ」という小さなワクワクの伝染だった。
まとめ:
世直しは、修行じゃない。
人救いは、義務じゃない。
それは、最高に心地よい音楽に、
思わず体が動いてしまうような**「最高のノリ」**。
君が「これ、いいかも!」と踏み出したその一歩が、
実は世界を一番遠くまで動かすんだ。
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よん
回答数 71>>
「努力を継続できることこそが才能」と棋士の羽生善治さんは仰っていますが、その通りでもあると思います。
ただの苦しみや結果が伴わないことを継続することは難しいです。
「目的となる結果」を何に置くかですが、たとえ思うような結果が得られないとしても、その過程で満足や喜びを得られるからこそ、努力が続いたのだと思います。
つまり、「努力の対象となる行為」に楽しめること、喜びを感じることである時点で、すでに才能と言えると考えます。
また、才能のように、努力無くして「その状態」を得ている者がいたとして、喜びはどちらの方が多い、または大きいでしょうか?
「才能や努力の結果が、評価を伴うもの」だとして、どちらが勝っているのか、誰がどのように、何を以て決めるのでしょうか。
他者であるのか、自己であるのか。世間なのか業界なのか。数字なのか名誉なのか、はたまた特定の人物からの反応なのか。
どちらが勝つか決めるのはその時々、だれがどう決めても良いし、評価される側もそれに囚われる必要は無いと思います。

ぼり
回答数 18>>
みたらし味のおもち
それは心の中で思っておけばよくて
💁♀️「どうせ可愛い子がいいんでしょ」
とかに対して
👦🏻「俺は顔で選ばないよ!!君が好き!」
よりも
👦🏻「何言ってるの?💁♀️ちゃん可愛いじゃん??」
が正解だと思うんだよね〜〜

うい
実は昨日オタク友達(男の子)と会ってきました
別れてすぐで恋愛感情としては勿論見てないけどすごく楽しかった

な

ゆう
見るのもだめはさすがにちょっとひどいよ
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藻

ユニ
何気にやんちゃんの好きな水色とピンクの色合わせのTシャツだね!
#sayatalk #金川紗耶

ふくっ

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ちりつ

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敗戦ロングくらいはこなしてくれないと

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