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とてちゃん
妊娠中以来さらに音に敏感になっちゃって
産後落ち着いたと思ってたけど
やっぱりダメだ😵💫💦
明日長距離運転しないとなのに
音が気になって寝られない😭
耳栓したいけど子どもの声が
聞こえなくなるのは困るし詰んだ😇
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ソース過剰ニキ

ハーロック
赤ちゃんを育てたことがある人なら、想像しやすいはずです
人は最初、純真無垢に生まれてきます
そこから、どんな言葉を浴びて、どんな空気の中で育ち、どんな扱われ方をしたか
それが、その子の思考や性格に大きく影響します
分かりやすい例が「言語」です
日本で育てば日本語を、アメリカで育てば英語を、当たり前に話すようになる
日本語と英語は全然違う
学ばなければ、互いに何を言っているか分からない
環境が人に与える影響は、それくらい大きいということです
だから本来は、環境を整える必要がある
けれど残念ながら、子どもは自分が育つ環境を選べません
もちろん、同じ育て方をしたからといって、全員が同じ性格になるわけではありません
元から持っている資質もあるし、感じ方も違うからです
ただ、世間一般とズレた環境で育った人は、成長過程で、あるいは大人になってから、人間関係で悩みやすくなります
ギャップが生まれるからです
そして、ここからが大事です
「環境のせいでこうなった」までは事実でも、
その後どう生きるかは、本人の選択になっていきます
自分の癖や歪みを認めて、少しずつ調整していくのか
それとも、世間のほうが間違っていると決めて、戦い続けるのか
どちらが正しい、という話ではありません
ただ、選び方によって“生きづらさ”は変わってくる
僕がうつ病から回復する時に、強く意識したのはここでした
答えは〇か✕か、みたいに単純ではありません
正解は曖昧で、状況によって変わるからです
それでも回復できたのは
「自分が生きる道」を、自分で選び直したからです
僕はそう思うのです
#希望


こ〜ちゃん🌱
母が、体に不自由があっても、できるだけ一人で生活できるようにするためだった。
家の中に手すりを付け、洗濯機の位置を変え、
ほんの小さな動作でも「自分でできること」を一つずつ増やしていった。
靴が履けるようになり、靴下も一人で履けるようになった。
それは他の人から見れば些細な変化かもしれない。
けれど母にとっては、確かな「自信」と「誇り」だったと思う。
「もう大丈夫だな」
家の中は、思いつく限り安全に整えた。
そろそろ帰れる、そう思えた頃、
最後に一日だけ、時間の余裕ができた。
その日、私が向き合ったのは、裏庭にある小さなウッドデッキだった。
庭の地面から50センチほどの高さ。
手すりは膝ほどの高さしかなく、足元も心もとない。
退院前の家屋調査では、
理学療法士さんも、ケアマネさんも、
口を揃えて「ここには出ないでください」と言った場所だ。
それでも母は、外へ出ようとした。
理由を聞くと、そこには植木鉢があり、
昔から自分で水やりをしてきたという。
柄杓を持って、庭の水道まで行き、
一鉢一鉢、声をかけるように水をあげていたらしい。
今は冬。
花は咲いていない。
けれど母にとって、あの植木鉢は
思い出であり、日常であり、
生きてきた時間そのものだった。
「危ないから」と、
閉鎖することは簡単だった。
でも私は思った。
母の残りの人生は、決して長くはない。
その中で、
外の空気を感じ、庭を眺め、
「今日も水をあげよう」と思える時間を奪っていいのだろうか、と。
安全のために禁止するのではなく、
安全に楽しめる形を作ろう。
そう決めて、私は2×4の木材を何本も買ってきた。
フェンスは腰の高さまで上げ、
庭へ降りる危険な降り口は閉鎖した。
その代わり、ウッドデッキには安心して出られるようにした。
水やりは、
ホースと散水ノズルを取り付けた。
ウッドデッキの上から、
庭の木も、植木鉢も、無理なく水をあげられる。
すべてが完成した日、
母はそっとウッドデッキに出た。
冷たい空気の中で、
庭を見渡し、
ホースを手に取り、
ゆっくりと水を撒いた。
その背中は、
「守られる人」ではなく、
「自分の暮らしを生きている人」だった。
私はその姿を見て、
このDIYが、ただの木工ではなかったことを知った。
それは、
母の人生に、
もう一度「喜びの居場所」を作る作業だったのだと思う。
禁止しなかったこと。
諦めさせなかったこと。
そして、できる形を一緒に探したこと。
春になったら、
きっとここで庭を眺めるだろう。
その時間が、母にとって
静かで、穏やかで、
確かな幸せでありますように。








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意味: 「いくない」は「良くない」という意味で、「よんもぉー」は感情を強調するための言い回しです。全体として、何かに対する不満や否定的な感情を表現する際に使われます。
使い方: 友達との会話やSNSの投稿で、「この映画、イクナイヨンモォー」と言うことで、その映画が期待外れだったり、面白くなかったりすることを伝えます。
この言葉は、特にカジュアルな場面で使われるため、フォーマルな場では避けた方が良いでしょう。若者文化の一部として、流行に敏感な人たちの間で広がっています。

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とてちゃん 投稿者
なんか日本語おかしい 妊娠中以来⇒妊娠を機に が正しいかな